初めに
2025年6月某日。ずっと続編を期待し続けて来た映画28年後…(原題28 Years Later、2025年制作)を観てきました。ここ二週間ほどずっと体調が悪かったですが、今後の予定が詰まっているので多少無理をして観に行きました。監督は私が大好きなダニー・ボイル。脚本はアレックス・ガーランドです。一作目の28日後…(原題28 Days Later、2002年制作)に出演したキリアン・マーフィーは今回登場していませんが、制作総指揮として参加しているようです。二作目の28週後…(原題28 Weeks Later、2007年制作)で監督・脚本が替わってしまいましたが、今作は28日後…の二人が帰って来ました。それ故に、期待もひとしおでした。
YouTubeで初めて予告動画を観た時に「これは絶対面白いに違いない!」と期待を膨らませました。普段は勘の良い私ですが、今回は予想を大きく外しました。この映画はダニー・ボイルらしさが無いと思います。私には、別人が撮ったように映りました。映画が始まって10~20分ぐらい、ちょっと観ただけで「これは駄目そうだ」と直感で分かってしまった。最初に結論を言ってしまうと、私はこの映画を駄作と認定しました。それについてはちゃんと根拠があります。但し全てが駄目と言う訳ではなく、良いところもあったと思うので、そこは評価したいと思います。映画の内容を知りたくない人は閉じて下さい。私は適当な事は書かない(そうならないように努力する)ので、最後まで読んで貰えると嬉しいです。過去作品と比較しながら、当ブログらしく細かい考察をしたいと思います。
粗筋
ロンドンで発生した「レイジウィルス」の爆発的な感染から28年後。舞台は都市部から離れた海に浮かぶ孤島。生存者達が自給自足をして暮らす、小さな村から物語が始まります。正確には「ジミー」と言う幼い男の子が感染者達から生き延びる冒頭部分がありますが、こちらは物語に大きく関わってきません。ある日、村人の一人ジェイミー(アーロン・テイラー=ジョンソン役)と12歳の息子スパイク(アルフィー・ウィリアムズ役)は「本土」へ上陸します。携行食料と弓矢を装備した親子は、干潮時に海から現れる道を通って、感染者達が溢れる本土側へ「経験」を積みに行きます。詳しく語られてはいませんが、村が二人の帰りを待って宴の準備をしていたり、雰囲気からして恐らく「成人の儀式」みたいな風習なのでしょう。一端の大人になる為の通過儀礼と言うか。
本土側では、これまでの作品では出て来なかった感染者の亜種が登場します。地を這って移動する「スローロー」や凶暴で巨体の「アルファ」などです。アルファとは野生動物の世界で言う、群れを統率する一番強い雄「alpha male」の事でしょう。テレビゲームのフォールアウトでも、デスクローのアルファが出て来ますね。ジェイミーはスパイクに、感染者を矢で撃つ時に狙う個所を教えながら、狩りを楽しむような感覚でスローロー達を射殺していきます。途中アルファに見つかった二人は、猛然と迫り来る感染者達を撃退しながら、命辛々島への生還に成功しました。
島に凱旋した二人は島民達から歓待されます。ジェイミーは宴会の席で、武勇伝の様に息子の活躍を誇張し、調子に乗った彼は人妻のロージーと不貞を働きます。その現場をスパイクに目撃されたとも知らずに・・・スパイクはその事をジェイミーに指摘し、親子関係に亀裂が走ってしまいます。そこから大きく物語が動き始めます。
音楽について
ダニー・ボイルの映画と言えばやはり音楽の良さでしょう。いつも使われている音楽がセンス良く、場面に相応しい選択がされています。いつも映像効果と相まって音楽が印象に残る事が多いのが、彼の映画の特徴です。例えば、28日後…で主人公のジムが館の中で凶暴性を見せる場面。「In the House – In a Heartbeat」と言う曲が使われていますが、話の展開や映像との親和性、静かに激しさを増していく最大の見せ場に相応しい選曲でした。それから127時間(原題127 Hours、2010年制作)で主人公アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ役)が生き延びる為に最後の力を振り絞り、再び歩き始める場面。使われている曲はシガー・ロス(アイスランドのバンド)の「Festival」。この場面は涙腺が緩む程の感動を与えてくれました。この二つは映画史に残る名場面と言っても、過言ではないでしょう。
しかし残念ながら、この映画では記憶に残るような曲が無かったと思います。理由は名場面が無いからだと思います。曲単体では良くても、肝心の作品自体の出来が悪ければ、音楽も頭に入って来ません。サウンドトラックのCDだけで聴いても味気が無いと感じる人は、私だけではないと思います。映画の音楽にしてもアニメの主題歌にしても、やはり映像と対でないと意味が無いでしょう。
物語の最初の方、不気味な詩のようなものが流れていたと思います。詳しい事はよく知りませんが、これはラドヤード・キップリングの「Boots」と言う詩で、第二次ボーア戦争に関係しているそうです。この詩が唐突に始まるので、観客は何事かと違和感を持ったと思います。何と言うか、話の展開や映像とちぐはぐな印象です。予告編の動画でもこの詩が使われていましたが、個人的に予告動画の方が効果的な演出効果があったと思います。
スパイクは行きずりで保護した赤ちゃんを村に届けた後、手紙を残して一人旅に出ます。再び本土に戻った彼は感染者の群れに襲われ、最初に戦った時とは打って変わって、見事な弓の腕前を見せてくれます。次作へと繋ぐこの最後の場面で、懐かしい曲が流れます。調べたけど曲名が分からず残念ですが、28日後…でジムとセリーナ(ナオミ・ハリス役)が最初に出会う場面(芸術的なガソリンスタンドの爆破が観られます)で使われていた曲です。ここは古き良き思い出が蘇り、少しだけ気分を高揚させてくれました。
映像について
私はダニー・ボイルの映像の撮り方は極めて芸術的でセンスが良く、本当に天才だと常々思っています。視点の切り替え、小気味よく芸術の域に達しているこま割り、音楽と良く絡む映像美、映画の題名を出す時の絶妙な機の読みなど、他の追随を許しません。しかし非常に残念ですが今作は、音楽同様に映像でもあまり良い点を付ける事が出来ません。
観た人なら分かりますが、物語の要所要所で突然挿入される映像。村人達だったり、赤く染まった画面に映し出される感染者達だったり。あれの意味するところが全く分からなくて、何をしたかったのでしょう?最後に出演者達の字幕が流れるところでは、サブリミナル広告のように映像が映し出される事もありました。話の途中でいきなり切り取られた映像が流れるので、本当に流れをぶった斬られた感じで、はっきり言って邪魔でした。ダニー・ボイルが本来持っている才能が、今作では全く発揮されていなかったと思います。何と言うか、本当に彼が撮ったのかと疑う程、今作の映像は平凡でした。継ぎ接ぎと言うのか、映像の流れが悪く滑らかさが無かったと思います。
悪い事ばかりでなく褒められる点もあるので、そちらもちゃんと伝えたいと思います。本能に警告を与えるような、感染者達の恐ろしさの描き方は秀逸だったと思います。一見長閑に見える草原。青く茂った木や綺麗な青空を背景に、不気味に浮かび上がる感染者達の影。それらが獲物の存在に気付くと、一瞬の間を置いてから腕を振り乱し、一斉に駆け下りて来る。あの場面は背筋にぞわぞわと来るものがあり、なまじ人の姿を保っているから、余計に怖く見えますね。今回感染者達はみな全裸ですが、28年の歳月でお召し物がぼろぼろになってしまったのでしょう。そう考えると衣服が無いのは必然性があり、真っ赤に染まった目と相まって、こんな連中に追いかけられたくないと本当にそう思います。
映像自体は綺麗で見易かったと思います。暗い場面でも何が起こっているか理解出来たし、変な映像効果を除けば撮り方はいたって普通で、特に問題は無かったと思います。28日後…は意図的に画質を荒くしていたようですが、Blu-ray盤でもDVDと画質が変わらず、所々見辛い場面があります。個人的に、こちらの作品はリマスター盤(雰囲気を損なわない程度の改善)が出てくれると嬉しいです。
役者について
この映画では私が好きな役者、レイフ・ファインズとアーロン・テイラー=ジョンソン(以下アーロン)が出演しています。前述した通りアーロンはジェイミー役として出ていますが、後半は殆ど出番が無く、非常に勿体無いと思います。彼はキック・アス(原題Kick-Ass、2010年制作)やブレット・トレイン(原題Bullet Train、2022年制作)などに出演していますが、どの映画でも印象に残る演技をしており、主役から端役までこなせる良い役者だと思います。キック・アスの頃は眼鏡が良く似合う正に美青年と言う顔立ちでしたが、今は加齢と共にまた違った魅力が出て来ていると思います。この映画では息子に逆上する場面もあり、小物と言うか端役で終わってしまったと思います。ただ、スパイクから刃物を取り上げる場面では、なんとか怒りを制御してその場を収めようとする心情がよく表れ、良い演技をしていたと思います。アーロンは存在感があり、ちゃんと演技が出来る役者だけに、出番が少ないのが惜しいです。彼はもっと良い役どころがあったかなと思います。
ケルソン医師(レイフ・ファインズ役)は登場人物の凄まじい設定もあり、その風貌からは思いつかない程、一番印象に残った役でした。演技云々よりも、死者(と言うより死体)に対する拘りや、一種宗教めいた人間の頭蓋骨を使った建築物?などの印象が強かったと思います。
子役として出演したアルフィー・ウィリアムズ少年は、現在14歳。実年齢が人物設定に近い事もあり、違和感無く息子役に嵌まっていたと思います。特別演技が良かったとは思いませんが、最後に一人で旅に出た後の彼は、短期間で年を重ねたように精悍さが増しており、少年から大人へと変わりつつある事を感じました。良い表情をしていたと思います。
この映画が何故駄目なのか
何故、私がこの映画を評価出来ないのか。これからその理由について述べたいと思います。私は普段は滅多に酷評しない方ですが、今回は然るべき理由があるので説明します。
〇理由その一
全体的に悪趣味。ジェイミーが感染者とは言え殺しを楽しんでいるのは、私は好きになれませんでした。前作・前々作では、登場人物達は基本的に快楽で感染者達を殺していなかったと思います(例外は一作目のイギリス軍人)。また、感染者のアルファが人の首を持ち歩いたり、ケルソンが人の首を焼いた後で骸骨を磨いて飾るなど、猟奇性が強いのも私には嫌悪感がありました。確かに、この作品群は暴力や残虐な描写が多いのは確かですが、何と言うか「見た目の気持ち悪さ」で耳目を集めるような作風ではなかったと思います。スパイクがケルソンの事を良い人みたいに言っていたと思いますが、私は頭がいかれた子供だと思います。ケルソンがやっている事は悪趣味で、とても褒められたものではありません。彼が作中で引用するラテン語の「メメント・モリ」についても、医師であり死を想う人として、もっと死を(そして生を)尊重すべきだったと思います。残酷なようですが、人生の儚さや死への敬意を想うなら、スパイクの母親アイラ(ジョディ・カマー役)の安楽死を手伝わず、生き続けさせるべきだったと個人的に思います。人は、死の瞬間まで全力で生きるべき。
〇理由その二
私はスパイクとアイラが苦手に感じました。よくホラー映画で出て来る「現場を引っ掻き回す人物」が苦手だからです。スパイクが人妻と不貞を働く父親を責めるのは分かりますが、その後確証も無いのに見ず知らずの医者を当てにして、母親の治療の為とは言え無断で村を抜け出すのは如何なものか。確かケルソンは何が専門なのか、作中で説明が無かったと思います。もし彼が精神科医だったら、どうしたのでしょうか。母親の病名や治療法が分からず、どの科の専門医に診せれば良いか分からない状態で、非常に無謀だと思います。また、極限の状況で運命共同体と言える村の秩序を乱すのも、未熟な少年とは言え一定の責任があるでしょう。
母親は母親で感染者の出産を介助したり、非常時に突拍子もない行動を取ります。そのせいでエリック(エドヴィン・ライディング役)が死んでしまった・・・最後の方でアイラは癌だと分かりますが(医療設備も無いケルソンの診断なので、診立ての精度に疑問がある)、私の目にはアイラは精神疾患の患者に見えました。私は癌の諸症状について詳しい事は知りませんが、実際に精神的に不安定になったり、おかしな行動を取ると言う事もあるのかもしれませんが。この二人はホラー映画でよくいる「仲間割れを始める迷惑な奴」とか「私のわんちゃん~と喚いて勝手にペットを追いかける奴」に似ていると思います。本人達は悪気は無いかもしれませんが、端的に言って迷惑で苛々させられます。こう言うのは見飽きているし、手垢が付いた手法はもう結構です。
〇理由その三
この手の極限状態の生存において、少年が主人公なのは全く説得力が無い。状況が状況だから、恐らく父親から生存の為の技術、言わば生存の英才教育を叩き込まれているとは思います。けれども、訓練を受けた八名のスウェーデン軍兵士達が、瞬く間に全滅した事実を無視出来ません。銃で武装した軍人ですら成す術が無いのに、幸運に恵まれたとしても十二歳の少年が、一人で生き延びられる可能性は極めて低いでしょう。少年が主人公なのが気に入らないと言う訳ではなく、現実味が無くて説得力に欠けると言う事です。28週後…では子供達は、軍人であるドイル(ジェレミー・レナー役)達に守られていましたよね。因みにエドヴィン・ランディングは、実際にスウェーデン人だそうです。
重箱の隅を突くようですが、村の立地条件にも疑問があります。ケルソン探しの時にスパイクが林檎を村から持ち出していますが、あの林檎は恐らく村で採れた果実なのでしょう。しかし、村は周囲を海で囲われている訳ですから、農業をやるにしても塩害の発生が懸念されます。また、林檎の栽培は非常に難しい筈です。農作物が安定供給出来るからこその定住化ですが、果たして洋上でそれが可能なのか。私には、多少危険でも都市部に要塞化した村を形成し、缶詰等の日持ちする食糧を調達した方がまだ生存の可能性が上がる気がします。都市部でも農業が出来ない訳ではないですし。
〇理由その四
全体的に多くの謎が残り、すっきりしない。ケルソンが死者に拘る理由とか、最後に突然登場したサー・ジミー・クリスタル(ジャック・オコンネル役)はどんな人物なのかとか、よく分からなかった事が、次作ですっきりさせて貰えるのでしょうか。ケルソンは何故世捨て人の様になってしまったのか。何故死者に拘るか納得いく理由やその背景を説明しないと「成り行き上出会った只の変人」で終わってしまいます。
ジミーについては途中で感染者の体に「Jimmy」と読める傷が入っていたり、家の壁の落書き等から、その存在を醸し出していました。もし映画の出来がとても良かったのなら、最後に謎の集団が登場して「これは次回も期待出来るぞ!」と、興奮出来るのですが。謎のジミーとその一向が登場して、いきなりパルクールみたいな事を始められても困ります。監督・脚本が違う28週後…ですら、一作目の雰囲気をある程度守ろうとする努力が見られたのに、この場面は完全に空気をぶち壊していたと思います。
それから既に二作目は出来ており、三作目の公開は興行収入次第らしいです。私はこれも気に入らない。監督が28年後…を三部作で絶対作りたい訳ではないからです。興行収入次第と言う大人の事情は、ダニー・ボイル一人の都合で映画を作れないと言う事で、それについては理解出来ますが・・・彼は本当に本気で、本心からこの映画を撮りたかったのだろうか?この映画の表現には、三部構成でないと駄目だと言う強い意志を感じません。そもそも28日後…は完成度が高く、続編を作る必要性が全く無い映画だと私は思います。それでも尚続編を作るなら、それなりの出来でないと。
〇理由その五
登場人物達を無駄遣いしている。28日後…は登場人物達がみな掘り下げがよく出来ており、端役でも印象に残る事が多かったと思います。イギリス軍の兵士達はラジオ放送でその存在が知られていたので、途中でジム達を助ける為に出て来ても違和感がありませんでした。今作のスウェーデン軍の兵士達はあまりに唐突な登場だったし、何の為に出て来たの?と思いっきり首を傾げたくなるほど、出て来た意味が無かったですね。無慚に、感染者達の餌食になって終わり。エリックは基本的に口は悪いけれど、赤の他人であるスパイク達に同行して守ってくれたり。それが母親の奇行のせいでアルファに殺され、死人に口無しとばかりに、勝手に頭を焼かれたり・・・正に踏んだり蹴ったりで、本当に悪趣味でした。
28日後…のイギリス兵達は女性を慰み者にしようとした下種野郎達でしたが、極限状態における行動予測としては理解出来るし、実際ジム達の命を助け守ろうとしたのは事実です。一瞬とは言え、共同生活をした誼もあったと思います。フランク(ブレンダン・グリーソン役)親子達との逃避行も、充分な時間を割いて描写されていたので、彼らに感情移入が出来ました。無人の商店で買い物をしたり、睡眠薬を分け合ったり・・・あの瞬間は幸せだったと思います。
話の展開についてはやはり、脚本担当であるアレックス・ガーランドに多大な責任があると思います。父親と喧嘩しました⇒母を助ける為に島を出ました⇒結局助かりませんでした⇒旅に出るので探さないで下さい。で、何を言いたかったのか?好印象を持てる魅力的な人物が不在で、場当たり的な行動が目立ち、結局何を描きたかったのか分からない話の筋。家族愛?を見せたかったのかもしれませんが、この映画はそう言うのを求めるものじゃないと思います。
〇理由その六
たまにこの映画の感染者の事を、ゾンビと呼ぶ人達が散見されますが・・・この映画に出て来る敵はゾンビではなく、凶暴になった感染者です。間違いの無いように。理由その六は感染者の表現について違和感があるのと、後付け設定?が気になる点について。28日後…では最後の方で、がりがりに痩せた感染者が路上で瀕死状態になっている場面がありました。これは単純に栄養失調が原因だと思います。28週後…の冒頭では、「5週間後:感染者 飢餓で死に絶える」とはっきり字幕が出ています。これの示すところは、感染者達に飢えを凌ぐ手段が無い事、生存本能が欠如している、或いはその両方を証明しています。両作品は主に都市部が舞台でしたが、感染者達が基本的に人間を捕食しない事(その描写が無い)と、食料を電子レンジで温めたり、缶詰を開けたりする知能が無い事が分かります。
対して28年後…では、感染者達は野生動物を捕食して食べています。これは詰まり、感染者も栄養補給が必須で、空腹感や生存本能がある事を証明しています。人間が減って野生動物達が増えた事で、感染者達は食料に欠かない訳です。アルファは獲物の頭部を戦利品の様に木に吊るす行動を取っており、ここに一作目には無かった高い知能や、民族の儀式的な要素が出て来ました。アルファが死んだ女性の感染者を見て、感情らしきものを発露させている場面もありました。亜種の登場もあり、感染者と言うよりもゾンビだとか、普通にホラー映画の怪物的な印象に変わってしまったと感じます。ネットフリックスの映画アーミー・オブ・ザ・デッド(原題Army of the Dead、2021年公開)では明らかに知能が高いゾンビが群れを統率していたり、強い感情らしきものが見えたと思います。28年後…のアルファはそれに少し近い印象を受けます。
私は、感染者が食事をするのは後付け設定ではないかと考察します。28年後…の世界は28週後…で再度感染が爆発した事が原因で生まれたと思います。ここで疑問なのが、感染者達は最終的に飢餓で死んでしまうのなら、28年も封じ込めが続くのは明らかにおかしい事です。続編を観ないとはっきりとは言えませんが、人気が無い野生溢れる地域は兎も角、都市部では既に感染が終息していないとおかしい道理になります。いつまでもイギリスが封鎖され続けているのは、都市部でも混乱が終息していないのでしょう。28週後…までは感染者は人を襲うが、捕食する設定は無かったと思われます。詰まり、生存本能が無い。だから休まず食わず人を襲い続け、最後には衰弱して死んでしまう。寝食を忘れて人だけを襲う、と言うのがレイジウィルスの特徴です。ここに何やら設定の矛盾を感じます。本来なら、じっと我慢すれば感染者は最終的に自滅する筈ですから。では、野生動物を捕食して生き続けられる28年後…の感染者達は一体何者でしょう?捕食以外で人間を襲う理由が見えて来ません。上手く説明出来たか分かりませんが、何と言うか感染者達に知能が芽生えた理由とか、何か納得のいく説明が無いと、当初の設定を無理矢理変えただけにしか見えないのは気のせいでしょうか?
〇理由その七
最後にして究極の理由。28年後…は原初の28日後…の概念を完全に否定している。今作は世紀末的な世界で人間対化け物の生存を賭けた戦いの継続に、訳の分からないおまけ要素を振りかけた雰囲気になってしまいましたが、本来はそうではなかったと思います。28日後…の世界観を思い出して欲しいです。
初作では病院で目覚めたジムがセリーナ達と出会い、イギリス軍兵士達と合流し、そこで争いが勃発して最終的に生き延びた三人は、偵察飛行をしていた航空機に発見され、恐らく無事保護されたと思います。この映画でジム一行が感染者達と積極的に戦っていたのは、フランクと出会った時が最後だったと思います。正確にはその後、ジムが子供の感染者を撲殺していますが、基本的に戦うよりは逃げる選択をしていました。その後は感染者となってしまったフランクや、拠点に殺到した感染者達をイギリス軍兵士達が片付けただけです。28日後…は、単純な人間対化け物を描いた映画とは違います。
イギリス軍兵士達が鬱憤を晴らすため、女性達に手を掛けようとしたのでジムが反発し、ジムは殺されかけました。その後、逆境を機転で凌いだジムが逆に、兵士達を一人ずつ追い詰めて始末していきます。感染者の脅威から逃げ延びる話だったのが、最後には人間同士の争いに転じてしまいました。
感染した兵士が仲間を襲う場面がありますが、あれは感染者が自ら縛を解いたのではなく、ジムが環境を利用しただけです。最初は感染者の対応に戸惑っていたジムが、最終的に「感染したら躊躇わず殺す」と公言していたセリーナを凌ぐ、とてつもない残虐性を見せたのは非常に印象的です。ジムはセリーナに感染したと勘違いされ、あわや殺されかけました。詰まり、行動や外見では判断出来ない程ジムと感染者の境界が無かったと言う事になります。感染者達と戦いながら逃げ延びる映画と思いきや、最終的に人間の敵は人間だったのです。この事実に、一体どれだけの人達がちゃんと気付けているでしょうか。観返してみると意外な事に、感染者達との戦いは大部分を占めていないのです。この映画はレイジウィルスの特徴や、その名称自体に意味があった。28日後…は「結局一番怖いのは人間」だと改めて教えてくれる映画だったのに、28年後…では人間の恐ろしさの根源である「怒り」の概念が吹き飛んでいました。私が言いたい事、上手く伝わったでしょうか?
総評
ダニー・ボイルの映画が好きな人、28日後…の続編として期待していた人達を失望させるには充分な内容だったと思います。ダニー・ボイル映画の熱心な愛好家達に、私はとてもお勧め出来ない。私は滅多に酷評しないが、はっきり言って彼の映画として評価するなら、駄作となるでしょう。私が言いたい事は分かる人には分かるし、共感して貰えると思います。
今作は28日後…どころか、28週後…を超える事すら無理でしょう。私はダニー・ボイルの映画はテレビ映画等一部を除き、殆ど観ています。そして、観た映画は殆どBlu-ray盤を持っています。唯一苦手なのがザ・ビーチ(原題The Beach、2000年制作)ですが、ザ・ビーチの方がまだ観られる映画だと思います。音楽・映像・脚本全てが平凡でした。制作したのがダニー・ボイルでないのなら、ある程度納得出来る内容でしたが、彼はもっと良い映画を撮る実力があると思います。厳しいようですが、嘘偽り無い本心をしたためました。
最後に
28年後…の第二部は多分観に行くでしょうが、もはや期待しない。ずっと観続けて来た者として、見届ける義務のように、映画館に足を運ぶと思います。どうせ続編を作るなら、何故レイジウィルスが研究されていたのか等その起源など、一作目を補足する内容を盛り込んで欲しかったです。いつか28日後…の記事も是非書きたいと思います。こちらは紛う事無き傑作です。一作目でその後を描く必要がなかった、堂々完結した作品です。良い監督だけに、焼きが回ったとは思いたくありません。酷評しましたが、今後の作品作りも注目したいと思います。
記事公開 2025年7月6日