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映画館へ行こう その7 エディントンへようこそ

  • 2025-12-21
  • 2025-12-30
  • 映画
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初めに

12月某日。仲間達と夕食を共にし、今年最後の劇場映画を観に行きました。アリ・アスター監督兼脚本のエディントンへようこそ(原題Eddington、2025年制作)です。邦題の「ようこそ」は要らないのでただ「エディントン」で良いと思います。同監督の映画を観るのは初めてですが、私と同じぐらい映画に詳しい友人が、観る人を選ぶ監督だと評していました。私はたまたまYouTubeで同作品の動画を目にし、「これは絶対面白いぞ」と予感がしたので、日本での公開時期を知った時から観ると決めていました。

映画館は閑散としており、私と友人達を含め、片手で数えられる程しか人がいませんでした。世間から注目を集めていないのがよく分かります。きっと多くの人達がゆっくりと進行し、派手さも起伏も無い序盤の展開だけ見て、「つまらない映画」と思ってしまう事でしょう。私はむしろわくわくが止まらず、じっと集中して観ていました。このような映画が、もっと評価される国になって欲しいと思います。まだ上映中につき、内容を知りたくない人は見ないで下さい。既に映画を観た人が振り返り、考察する事に少しでも貢献出来たら幸いです。記憶力が良い方ではないので、間違っている箇所があったらすいません。

粗筋

舞台はアメリカ、ニューメキシコ州の架空の町エディントン。途中、プエブロ(タオス・プエブロ)と言う固有名詞が登場しますが、こちらは実在するようです。プエブロとはネイティブアメリカンの共同体を指す言葉のようです。気のせいか近年、ネイティブが登場するハリウッド映画が多い気がします。ウインド・リバー(原題Wind River、2017年制作)然り、スノー・ロワイヤル(原題Cold Pursuit、2019年制作)然り。

常に酔っぱらって、意味が通らない独り言を延々と吐き続けて暴れる乞食のロッジ(クリフトン・コリンズ・Jr役)が、ふらふらと彷徨う場面から映画が始まります。この時点で奇妙にして不可解、そしてどこか不吉。この物語の行く末は、決して幸せではないであろう事を察しました。

時は2020年、正にコロナウイルスが猛威を振るい始めた時期。エディントンでも強制ではないマスクの着用を巡って、住民の間で対立が生じていました。不安と恐れからマスク着用者が多い中、マスクをしない少数派の一人、保安官ジョー・クロス(ホアキン・フェニックス役)は頑なにマスク着用を拒否(状況に応じて着用する事もある)していました。ジョーは喘息持ちで、マスクをすると呼吸し辛い事もあり、マスクの着用に抵抗があったからです。映画の最初の方、ジョーが同じくマスクをしない住民の肩を持つ光景が見られます。入店を拒否された人を助けたり、店から追い出された人に買い物の品を届けたりなど。彼は劇中で「法整備されていないなら、着用しなくて良い」と主張しますが、全くその通りです。アメリカでも同調圧力が存在するようです。

ジョーには妻のルイーズ・クロス(エマ・ストーン役)がおり、見るからに精神を病んでいる彼女を気遣い、優しく接していました。そのルイーズを巡って、エディントン市長のテッド・ガルシア(ペドロ・パスカル役)と何やら因縁がある事が次第に分かって来ます。ルイーズの母親ドーン・ボドキン(ディードル・オコンネル役)も娘同様に「陰謀論」に嵌まり易い危うさがあり、結婚生活は脆く崩壊してしまいそうな雰囲気が漂っています。途中、ルイーズがカルト集団の教祖ヴァーノン・ジェファーソン・ピーク(オースティン・バトラー役)を家に連れて来た辺りから、いよいよ不穏な空気が濃くなってきます。

マスクの件を含め、間違っている事を間違っていると主張出来ない、精神的にも息苦しい状況。もどかしさから解放されたい。ジョーはある日、傍目にはやや衝動的に次期市長選に臨む事を決意します。ジョーは部下のガイ(ルーク・グライムス役)マイケル(マイケル・ウォード役)を使って(職権乱用)、選挙動画撮影や街宣等の活動を開始します。丁度その頃、エディントンで「Black Lives Matter」の様な人権活動のデモが巻き起こっていました。そのデモの対処に当たったジョーは、その様子を動画に撮られてネット上で公開されます。事情を知らない人達の目にはその「切り抜き」が、一見人種差別の瞬間に映ってしまい・・・その動画はやがてアンティファ(反人種差別、反ネオナチ)勢力の目にも留まり、予想もしない事態に発展していきます。火花を散らすジョー・テッド両候補。圧倒的な登場人物の数と、複雑に絡み合う人間関係。偶然に偶然が重なり、思いもよらない方向へと進んで行く、先の見えない展開。深く静かに進行する物語。

音楽・映像について

この映画では殆ど音楽が使われていません。本当の本当に必要最低限で、深く静かに物語が進行していくのに良く合っていました。時折、おどろおどろしい音楽が鳴るのも良いです。所々、名作ビデオゲームのF.E.A.R(First Encounter Assault Recon)の幕間に使われていたみたいな静かな音楽(説明が難しいですが、私にはそのように聴こえる)が、良い雰囲気を作り出していました。後半に血も凍るような撃ち合いが始まりますが、そこでも煽る様な音楽が使われていないのが実に良いです。

映像はエディントンと言う町の空虚さを、音楽と共によく実感出来たと思います。砂漠の様な乾いた風景に、アメリカ特有の贅沢なまでに広い道路。区画整理された町には商店が立ち並ぶものの、何で活計を立ているのか分からない。主要な産業が無いからこそのデータセンター誘致でしょうね。

後半の夜間の戦闘場面では、自然に暗いままで撮影されています。暗くて遠目なので、暗闇の中で何者かが動いているのは分かりますが、表情は見えない。男女の区別も付かない。マズルフラッシュで位置が分かったり、戦闘の臨場感がとても高まっていました。暗いからこそ殺伐とした空気や緊張感、不気味さが否応無しに増します。映画はしばしば観客の観易さを意識して、ご丁寧に照明で明るくしてくれる事が多々あります。例えば、映画ネイビーシールズ(原題Act of Valor、2012年制作)のジャングル行軍。それから13時間 ベンガジの秘密の兵士(原題13 Hours:The Secret Soldiers of Benghazi、2016年制作)も、夜間戦闘が妙に明るかったですね。明るさの調整を悪いとは言いません。作風に合っていれば良い。暗い映像が効果的に使われていた好例として、いくつか挙げておきます。ゼロ・ダーク・サーティ(原題Zero Dark Thirty、2012年制作)のウサーマ・ビン・ラーディン急襲場面、ボーダーライン(原題Sicario、2015年制作)のデルタフォース・CIA(正確にはSAC=Special Activities CenterのSOG)混成部隊によるカルテル襲撃場面、キングスマン:ファースト・エージェント(原題The King’s Man、2021年制作)のコンラッド対ナチスドイツの戦闘。これらの映画の各場面を観ると、映画制作に於いて明暗の重要性が良く分かると思います。

役者について

この映画は恐らく一般的には、有名とは言い難い役者達が名を連ねていると思われます。私はホアキン・フェニックスが出演している映画は殆ど観た事が無く(グラディエーターぐらい)、監督も知らない人だったので、真っ新な気持ちで映画を観られました。後から知りましたが、乞食役のクリフトン・コリンズ・Jrはあの名作トラフィック(原題Traffic、2000年制作)に登場した殺し屋、フランシスコ・フローレスの役者さんでした。テッド市長役のペドロ・パスカルを何処かで見たと思ったら、ネットフリックスの映画トリプル・フロンティア(原題Triple Frontier、2019年制作)でした。ネットフリックスは良い映画が沢山ありますが、DVD/Blu-rayの商品化がされていないものが多いので、非常に残念です。

エマ・ストーン、ディードル・オコンネルは如何にも、心に病や闇を抱えた人達を好演していました。人権活動家のサラ(アメリ・ホーファーレ役)も活動に熱心なあまり、やや視野狭窄で猪突猛進的なところがよく表現されていました。目立つ言動とか服装とか、分かり易い情報に頼らなくても、「普通の演技」で役作り出来るのは、地味だけど凄い事だと思います。これは脚本次第で、映画を現実的な方向に振るか、それとも荒唐無稽な方向に持って行くか、それによって役者の動きが大きく変わると思います。現実離れした話だったり、派手な爆発や特殊な視覚効果とか。それらを用いないこの映画には、淡々とした演技が一番合っています。よって、この映画は役者の演技だとか誰が出演しているかよりも、話の展開に自然と注意が向きました。映画を観ながら、同時に考察的な事を頭の中で展開する事が出来たと思います。実際振り返ってみると、記憶力に自信が無い自分でも、かなりの情報を覚えていました。

ジョーの部下ガイは、マイケルより人物が立っていたと思います。中盤でジョーがマイケルに、自分が犯した殺人の罪を着せようとしますが、ガイはまんまと利用されてしまいます。付き合いの長さは分かりませんが、仮にも同僚であるマイケルを信用せず、殺人容疑を決めつけにかかった彼は、心のどこかで以前よりマイケルを差別していたのかもしれません。ガイは権力に従ったり、おべっかを使う人物とまではいかないと思いますが、やや軽薄で立ち回りが上手い、世間慣れした若者をよく演じていたと思います。その彼も最後の方では追い詰められ、悪い予感に怯える様子が印象に残っています。

この映画の中で一番印象に残ったのは、やはりホアキン・フェニックスでしょうか。彼の演技は派手だとか、怪演だとか、そう言うのとは無縁な地味なものでした。でも人間味が溢れ、現実にいそうな感じがよく伝わって来ました。彼は一見善良な保安官のように見えて、実はそうでもない。良くも悪くも普通の何処にでもいる人間。特に中盤以降、犯罪の隠蔽工作に奔走する場面と、後半のアンティファ達からの逃避と反撃。この辺りで見せた「必死さ・しぶとさ」は、映画ノーカントリー(原題No Country for Old Man、2007制作)でジョシュ・ブローリンが見せた生存本能と共通するものがありました。生き延びる為には何でも、最大限にやると言う徹底ぶり。元はと言えば、衝動に任せて人を殺してしまったジョーが悪いのに、何故か彼の必死さを応援したくなるような感じ。

ジョーはテッドの「資金集めパーティー」の騒音問題を受けて彼の邸宅に駆け付けますが、そこでテッドから平手打ちを二発も食らい、何も反撃出来ずに引き下がるしかありませんでした。公衆の面前で最大の屈辱だったでしょう。去り際の沈黙と溜めが、冷静なように見えて憤怒を抑え込んでいるのが伝わって来て良かったです。その後彼は、バーのガラスを割って侵入したロッジが、店の酒を浴びるように飲んでいる姿を目撃します。そこでひとしきり様子を窺った後、銃弾を三発(確か三発)浴びせてロッジを死体に変えてしまいます。この場面は一言も発しないですが、たっぷりとした溜めの時間が、彼の中で様々な感情が渦巻いているのが見て取れました。疲れ果てて自暴自棄になり、「もう、どうでもいいや」と言う投げやりの諦観、怒り。若しかしたら、殺すのを迷っている時間もあったかもしれません。この殺人は、ただの八つ当たりで計画性など皆無ですが、人を簡単に殺めただけではなく、死体を始末する手際の良さも相まって、静かな恐怖があります。その後のテッド親子を殺害する場面も然り。人間はここまで冷酷になれるのかと戦慄します。

アンティファとの対決場面は最大の見せ場の一つでしょう。喘息と全力疾走による息切れと戦い、走って転がりながら血だらけ泥だらけ。息切れと混乱の最中、それでも出来得る限りの冷静さを動員して襲撃者に反撃する様子は、妻に見せる普段の優しい彼とはかけ離れた姿でした。ここは落ちも予想外で素晴らしかった。

話の展開について

この映画は随所に伏線が張られています。最後の方で追い詰められたジョーが「ガンサー銃砲店」でマシンガンを構えて飛び出して来ますが、この特徴的な建物はもっと前の場面で映っていました。壁面に銃の絵が描かれており、観た人達の印象に残っている事でしょう。一つ疑問なのが、ジョーはアンティファから走って逃げる時、この店を目指していたのか、それとも偶然だったのかよく分かりません。何故なら彼の自宅のロッカーには、ハンドガン以外にもライフルが映っていたと思います。多分籠城する事も出来たし、家を飛び出すにしてもライフルや予備マガジンを持って行けた筈です。この場面の前にガイを殺され、自分も爆風に巻き込まれたのもあり、冷静さを失っていた可能性もあります。また、ドーンを巻き込まない為に、家から走り出した可能性も否定は出来ません。

最初の方でジョーがマイケルと銃の腕前について、雑談を交わしている場面があります。そこでジョーは自分が撃った紙の標的を指して「AR系のライフルで、スコープを使わずに300ヤードから撃った結果」だと自慢していました。この銃の腕前は後に、テッドとその息子を狙撃する場面で見事に証明されています。テッドは一発で心臓を貫かれ死亡。息子は初弾こそ外したものの、慌てふためいて逃げようと動いているところを、一発で仕留めています。夜間の長距離狙撃(300ヤード以上離れているように見える)、しかも一人は動く標的でした。

ジョーが途中から咳をするようになりますが、これはずっと咳をしていたロッジの近くにいたからでしょう。彼はコロナの検査を受けに行きますが、携帯電話に通知された検査結果を、結局最後まで確認しませんでした。アンティファから逃げるところでは、既に感染していたと考えるのが妥当です。アンティファの一人に頭部をナイフで刺されていましたが、搬送される映像の中で「高熱でもう駄目だ、助からない」みたいな救急隊員か医療従事者の声が入っています。最後自分一人では動けない体になったのは、脳の損傷だけでなくコロナの影響もあるかもしれない、と思ったり。
エディントンは、先が読めない展開で非常に良いです。最初の方で感染症とか、2020年と言う数字が出て来たので若しやと思ったら、そのまんまコロナの事でした。当初は「架空の町に謎の殺人ウイルスが蔓延する」みたいな物語を想像していましたが、そこは特に捻りが無く普通の話でした。マスク着用を拒否する保安官が選挙に出ると言う序盤の展開が、その後どの様に変化するのかともてわくわくして観る事が出来ました。勿論、多くの人達は小さい町の選挙戦で終わるとは思わないでしょう。
ジョーはテッド殺害容疑から逃れるため、状況を巧みに利用します。運が彼に向いているのも功を奏しました。サラの鞄がテッドの家(殺害現場)にあった事、マイケルに罪を着せるために射撃訓練を推奨したり、バタフライ(ウィリアム・ベルー役)が巻き添えで死んでしまった事。色んな人間関係や偶然の産物が、ジョーにとって有利に働いたかに見えたが、結局そう上手くは行かないもの。動けない体になったのは罰が下ったのでしょう。テッドから公衆の面前で二回平手打ちをされ、恥をかかされた腹いせに乞食を撃ち殺し、テッドとその息子まで射殺し、尚且つ部下に罪を着せようとしたからです。こうして見ると、序盤は一見良い人に映るジョーが、とんでもなくどす黒い内面を持っていた事が、鮮やかに浮き彫りになってきます。

途中までは起伏が少なく、とても静かでちょっと退屈と思ってしまっても、仕方がない展開。しかし徹底的に破局へと向かう、一連の殺人事件からの怒涛の展開。ずっと溜め込んで来たものの解放。これはジョーだけでなく、推移を見守って来た観客も同様。日本語で上手い表現が見つかりませんが、安易に横文字を使うとしたら「カタルシス」と言うのでしょうか。しかも「情熱」とか「熱い」と言う表現とは無縁の、矛盾するようですが「冷え切った炎」が全てを焼き尽くす感じ。冷徹な登場人物に観客は己を投影し、俯瞰した冷ややかな視点で「観察」している感覚。これまで体験した事が無い部類の映画。現実的で緊張感に溢れ、それでいて不思議でやはり創作だと思わせる異世界。地味だけれど、決して最後まで飽きさせない展開に脱帽でした。

映画の中の考察

映画の中で私が気になった事や疑問に思った事を、私なりに解釈・考察してみたいと思います。合っている・間違っているは気にせず、自由に意見を述べたいと思います。

〇考察その一、コロナを巡る陰謀論について

エディントンには様々な要素が散りばめられていますが、その中に「陰謀論」みたいなものも含まれています。確かドーンかルイーザが携帯電話で観ていた動画の中に、「2019年には既にコロナウイルスの名称があった」みたいな事が示唆されていました。これは事実なようで、アメリカの特許商標庁にはウイルスの全てに特許番号があり、RNAの配列まで登録されているとか。私は陰謀論が余り好きではないですが、私はコロナは人工のウイルスだと思っています。作中で「ディープ・ステートが人類を減らすために利用している」みたいな映像が出て来ますが、有り得ない話ではないでしょう。東西冷戦の頃はエボラ出血熱天然痘が「生物兵器として研究されていた」のは有名な話です。オウム真理教も研究していたぐらいです。エイズが人工のウイルスと言う話もありますね。コロナが人工物だと考える理由はいくつかありますが、「発生から僅か数か月で、検査法が確立しているのが既におかしい」と気付かないと駄目です。本当は何年もかかるところを「待ってました」とばかりにPCR検査が出て来たのが、既に胡散臭いのです。ここではコロナについて理論的に深く掘り下げませんが、「コロナ特需」で儲けた医療関係者が沢山いて、特に製薬会社は、笑いが止まらないぐらい莫大な利益を上げたのは確かな事でしょう。

WHOの高額出資者の40%は製薬会社、その中にはビル・ゲイツも含まれます。ビル・ゲイツは地球工学に投資しており、地球工学は気候危機(気候変動)との絡みもあります。大体、ウイルスが何故いつもアフリカや中国ばかりで発生するのか、疑問に思いませんか?白人は今でも有色人種を見下しているので、有色人種が多い国々を実験場にしているのでは?因みに、ウイルスは地名が入っている事が多いですが、エボラはコンゴにある川の名前です。鳥インフルエンザに地名が入っていないのは、潘基文(パン・ギムン)が国連事務総長を務めていた時期があり、風評被害を回避するために働きかけた云々。そんな話もあります。

私はコロナの存在意義は二つあると思っています。一つは単純に金のため。コロナの特徴として①感染力が高い、②ワクチンが効かず何度も感染する、③免疫力を壊す、等があります。これは詰まり年がら年中、全ての人々が、ありとあらゆる病気に掛かり易くなる(持病も悪化する)事を意味します。これによってあらゆる薬・ワクチンが安定して売れる=医療業界全体が儲かる事を意味し、保険業も儲かる事になります。何故保険業が儲かるかと言うと、人が健康で一切病気に罹らないのであれば、人は保険に入る必要がないからです。軍事的緊張を高める事で、軍需産業が潤うのと同じ仕組みです。人々が絶えず不健康であると権益者達が幸せになるのが、疾病利権の本質です。この疾病利権は、食料安全保障とも密接な関係があります。何故なら、健康の入り口は食養生にあるからです。そう考えると果たして、医療・食糧・軍事と言った産業で覇権を握っている国は何処でしょう?限られてきますね。

もう一つの意義は、人類を間引くため。いよいよ気候危機で人類滅亡が避けられなくなった時。コロナを改良したものか、或いはコロナの知見を利用して作った新たなウイルスを使う心算でしょう。それによって、地球を汚染する過剰人口を強制的に抹殺する。今行われているガザの虐殺を見れば明らかですが、特定一部の連中にとって、人を殺すのは朝飯前です。映画の本筋から外れたので、ここで軌道修正します。

〇考察その二、データセンターとアンティファについて

テッドがデータセンター建設を推進し、逆にジョーがこれに反対する意思を表明していました。これが選挙戦の争点にもなっていたと思います。「データセンターはAI絡みで、マイクロソフト関係じゃない」みたいな会話や、データセンターが町の電力と水に影響を与えている、と言うような話もあったと記憶しています。ハリウッド映画はマイクロソフトみたいに実在する企業・人物の名前がさらっと出て来るのが面白いですね。日本だと「砲林寺拳法」とか「天忍党」とかぼかしますから。データセンターと言うからには億単位の人が利用する事を想定していると思いますが、この手の設備には広大な土地、冷却システム、ギガワット級の電力等が必要と聞きます。恐らく水は、冷却装置用に必要なのだと思います。当然ながら、投資には莫大な費用が掛かります。ここが重要。因みにビットコインの話も出て来ますが、ビットコインの取引で排出される二酸化炭素量はとんでもなく多く、大きな環境負荷になっている事は、余り知られていないかもしれません。

アンティファがジョーを標的にしたのは、件の動画が原因であると言うのが自然な回答かもしれません。アンティファは、目的達成のために暴力を行使する事もあるようです。しかし素人の域を出ないアンティファが果たして、自家用ジェットに乗って人一人を殺しに行くでしょうか?可能性として考察するなら、ジョーがデータセンター建設に反対していたので、それで不利益を被る連中が彼を消す事にした。アンティファは偽装で中身は傭兵である、と言う説。勿論、アンティファが偽物だと断定する事も出来ません。アンティファが落とした携帯電話の中に、他の都市で起きたアンティファの襲撃事件の動画が確認されました。これは自分達の「武勇伝」を鑑賞していたとも取れるし、あくまで偽装の一つと取る事も出来ます。でも、あまりに不自然ですよね。

市長が死んで大騒ぎになったのも束の間、颯爽と登場する謎のジェット機。まるで貸し切りの様に乗客は三人だけ。しかも一人は腕立て伏せ、一人は銃弾を装填中、一人は背中を向けて動画を検索中。怪しさ満点、装備も立派。座席に置かれたナイトビジョン、ナイフが取り付けられたプレートキャリア。「なんだ、なんだ。何が始まるんだー!」と期待が最高潮になりましたね。最大の見所の一つだと思います。ここは衝撃的な登場の仕方と、作中で最も不気味な光景が脳裏に焼き付いて離れません。三人とも最後まで、はっきりと素顔が見られなかったのが不気味さを増しています。顔が見えなくても、言葉を発しなくても、目的と殺意だけはしっかりと伝わって来ますから。

この場面は、恐らく世間では駄作と言われているであろうデモニック(原題Demonic、2021年制作)を思い出します。「ヴァチカンの特殊部隊」の出撃場面があるのですが、ヴァチカンと言うだけで心躍るのに、悪霊退治に銃火器を装備したり。F.E.A.Rのような銃撃戦を期待したのですが、期待だけで終わりました(笑)。でも、あの出撃場面は本当に格好良かったです。謎の部隊の出陣って良いですね。私はデモニックを嫌いになれません。色々惜しい映画でした。

閑話休題。その後の手際も素人ではない。留置所からマイケルを誘拐して、ジョーとガイを誘き寄せ。路上にはご丁寧に炎の矢印で誘導。拘束したマイケルの側の地面には爆弾を仕掛け、一部始終をドローンを使って空撮。手間とお金を掛け過ぎでしょう。この時、爆死したかに見えたマイケルが実は生存していて、最後の最後で登場します。疑い出すと切りが無いですが可能性の一つとして、マイケルも傭兵部隊の関係者で、被害者を装っていたとか・・・そうやって疑心暗鬼になり、色んな事を考えさせられるのが監督の狙いなのでしょう。

銃火器と軍事的考察について

この映画ではグロック、AR系ライフル、マシンガン等が確認出来ました。映画の銃火器の参考になる某サイトでまだ情報がありませんので、詳細確認は今後の話ですね・・・ここでは映画の銃の取り扱い、軍事的(戦術的)な考察について語りたいと思います。

ジョーは確かに射撃の名手かもしれませんが、最後の戦いでは開かれた場所、通りのど真ん中を堂々と歩くなど、やはり軍人とは違う動きをしていたと思います。また、照明が煌々と輝く場所を通過するなど無謀な行動を取っています。最大限暗所や遮蔽物を利用して、目立たないようにする動きではない。一方でこれより前の場面、ガイが殺された後に自宅に戻った時は、しっかりと「カッティングパイ」をしてました。壁から離れて、最大限視野角を得る為の構えや移動がよく出来ていたと思います。
撃った弾が見事に全弾命中するのは映画的表現で、実戦では容易に命中を得られません。実際は緊張や興奮状態にあったり、息が切れていたり、動きながら撃つ(相手も動いている)からです。恐怖や良心の呵責もあるでしょう。この映画ではその点に於いて、実に現実的であったと思います。ジョーが腰溜めでマシンガンをフルオートで撃つ(乱射と言って良い)場面がありますが、弾がかなり散ってしまって、標的から外れた弾が壁に着弾する様子が見て取れます。このマシンガンの攻撃は只の牽制に終わっています。

それから、遠距離だと銃声が「ボボボ・・・」と低く響いたり、狙撃の場面ではマズルフラッシュが見えた後に着弾したり、着弾の後に銃声が響くなど、細かい描写が秀逸。銃弾(特にライフル弾)は音速を軽く超えるので、遠距離からの狙撃の場合、着弾の後に音が遅れてやって来ます。こう言うところを丁寧に描いている映画は意外と少ないですが、ぱっと思いつくのは、知る人ぞ知る名作誘拐犯(原題The Way of the Gun、2000年制作)でしょう。

ジョーがマシンガンを乱射する場面では早々に弾切れ(或いは弾切れ前に手放したかも)するなど、無限に弾が湧いて来ないのも満足です。アンティファも最後は弾切れで、叫びながらジョーに走り寄り、刃物を抜いていました。アンティファは三人いましたが、ガイが死んだ所でジョーがハンドガンで撃った時は、携帯電話を落としただけで仕留められなかったと思います。その後、一人はジョーがライフルで撃って斃したものの、二人目がいつ退場したのか確認出来ませんでした。三人目はブライアン(キャメロン・マン役)が撮影しながらハンドガンで殺しました。このブライアンの闖入は予想外で、その後にこの事件を巧みに利用する強かさも実に面白かった。

市長が死んだ後の会見の中でジョーが、「エディントンの人々は武装しており、銃が大好きだ。危害を加える侵入者は追い出されるだろう」みたいな話をしていました。まさか自分が銃砲店から武器を拝借してアンティファと戦い、そしてアンティファもジョーから思いもよらない反撃を受けるとは想定していなかったでしょう。

軍事的考察とは違いますが、ジョーが屋根を踏み抜いて落下し、硝子天板の机に背中から落ちる場面があります。そこで割れた硝子が刺さったのか、シャツが次第に血で染まっていきます。他の映画であれば大概、何事も無かったかの様に無傷ですが、この映画はそう言うところも手を抜かずに表現していました。

総評

エディントンは観る者に考えさせ、想像させ、ある程度の知識や知性を試すところがあると思います。テッドがルイーズを手籠めにしたと言うのはドーンの狂言で、ジョーがそれを信じ込んでしまった。それでテッドを追い詰めるために、嘘と知らずに情報を拡散しますが・・・これすらも、本当に真実は何処にあるのか疑問です。本当はドーンが正しく、テッドがしらばっくれている可能性もあり。ルイーズも信用出来る人間ではないでしょう。こうやって書いている自分が、完全に間違いだったらすいません。

この映画はコロナ以降の世界を見事に表現しています。2000年以降、坂を下る様に世界がどんどんおかしくなっていますが、コロナが現れてその感がさらに強くなりました。陰謀論や疑心暗鬼、偽情報の氾濫、人種差別、戦争、独裁者の出現等。自宅勤務や未婚者の増加、引き籠り、AIの乱用。人との距離が遠くなり、匿名性をいい事にネット上で嘘を拡散・他人を傷つけ、情報の裏付けも取らずに信じ込み。騙された人達が、さらに人を騙すと言う地獄絵図。各国上辺だけで、気候危機対策やる気無し。この映画はほんの小さい、世界の縮図。たまに「ピンチはチャンスだ」とか言う人達がいますが、危機は危機でしかありません。寝惚けないで欲しい。追い詰められた人類と、騙し騙される人間関係、情報の精査が困難な社会。この現実と向かい合い、人々に「自分の頭をよく使う事」を奨励する様な作品だと思います。

映画の尺は充分あり、お陰で人間関係や各人の掘り下げが丁寧にされています。部類としてはサスペンスになるかもしれませんが、アクション映画としての要素も非常に強いと思います。見た目の派手さに頼るのではなく、無敵の人など一人もいない、誰でも呆気なく即死と言う非情さが緊張感を生み出し、良質な死闘を見せてくれました。

2025年の締め括りに、本当に良い映画と出会えたと思います。脚本だけで言えば、2025年最高の映画だと評価します。私は多くの人達に予備知識を持たず、情報を遮断してこの映画を観に行って欲しいと思います。映画の題名に「ようこそ」の文字が入っていますが、これは確かに、誰にでも開かれるべき扉かもしれません。私はこう言いましょうか。「エディントンへ行ってらっしゃい」と。そこから戻って来た貴方は、物事の考え方に少し変化があるかもしれません。

最後に

映画を観てから一週間以上経過して、漸く記事に出来ました。先月のライブからここまで死ぬ程忙しく、年を越す前に終える事が出来て良かったです。こんな程度の記事でも、今日だけで三時間以上使っています。私のような凡人は無い頭を捻って、漸く人並みの事しか出来ないですから。来年早々、一月中に恐らく劇場映画を三作品観に行くと思うので、また映画の記事を書きたいと思います。

記事公開 2025年12月29日

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