初めに
2026年1月某日、28年後…白骨の神殿(原題28 Years Later: The Bone Temple、2026年制作)を観に行きました。他市でれいわ新選組のちらし配りの手伝い⇒自分への褒美に外飲み⇒翌日映画と、慌ただしい休日でした。今回は友人達と都合が合わず、一人で鑑賞しました。前作(別記事参照)は結構酷評しましたが、28日後…(原題28 Days Later、2002年制作)から追いかけて来た者の義務と言うか、最後まで見届けようと思います。
今回はダニー・ボイルが監督から下りて、代わりにニア・ダコスタと言う人物が引き継ぎました。脚本は前作と同じアレックス・ガーランドです。映画も商品なので、配給会社の絡みや大人の事情があると思いますが、継続作品でころころ監督が替わっても困ります。28年後…は三部構成ですが、第三部の制作の是非は売れ行き次第、と言う話を聞いていました。どうやら意外と受けが良いようで、既に第三部の制作が決まっています。私は過度に期待せず、粛々と鑑賞・評価しようと劇場へ足を運びました。
内容を知りたくない人は見ないで下さい。忙しさにかまけて、記事にするのが遅くなりました。いつもいつも行動が遅い。何とかしたいところですが、これは自分だけのせいではない。無駄な残業を減らして、自分の時間がもっと欲しいと思います。記憶の風化により、記事の正確性が損なわれている可能性がありますが、ご了承下さい。
粗筋
前作で母を失い、生家がある村を後にして一人旅立ったスパイク(アルフィー・ウィリアムズ役)。映画の最後でスパイクが感染者の集団に襲われ、その窮地を救ったのがカルト集団の教祖的な存在のサー・ジミー・クリスタル(ジャック・オコンネル役)と手下のフィンガーズ。この集団は以後「ジミーズ」と呼称します。28年後…白骨の神殿は、その彼らに取り囲まれたスパイク少年が、強制的に決闘を強いられるところから始まります。どうやらフィンガーズの定員は七名と決まっており、そこに加わるには殺し合いをして座席を奪うしかないようです。フィンガーズは刃物をちらつかせて脅し、動揺し怯えるスパイク少年を小突き回し、煽って勝負に乗るように誘導します。一瞬の隙を突いて相手のパンツを脱がせ、刃物を太股に一突きするスパイク。逆上するジミーですが、運悪く動脈が破れ、大量の血を流して静かに死んでいきます。刃物を刺されたら、抜く時は注意です。意図せずフィンガーズの仲間入りをしたスパイク。若さ故の無力さから、運命共同体の様にジミーズ達に付いて行くしかありませんでした。
ある日ジミーズは他の生存者達が住む家に押し入って、食べ物を所望した挙句、その住民達を惨たらしく殺そうとします。そんな狂乱の中、一人偵察の任を与えられたジミー・インク(エリン・ケリーマン役)は、人骨で出来た神殿の様な場所で暮らすイアン・ケルソン医師(レイフ・ファインズ役)を目撃します。イアンは薬(主成分はモルヒネ)を使って、彼がサムソン(チ・ルイス・パリ―役)と名付けた巨人の様な感染者を大人しくさせ、まるで常人と接する様に交流を始めます。その信じられない情景を目にしたジミー・インクは、彼の事を「覇王」だと思いました。住民達の思わぬ反撃に合い数を減らすジミーズでしたが、帰還したジミー・インクの情報を頼りに、覇王と謁見すべく神殿へ赴きます。ジミー・クリスタルは手下を待機させ、先ずは一人でケルソンに会いに行きます。そこで集団の統率を図るジミー・クリスタルは、ケルソンに脅しを交えて交渉し、彼の本性や透ける思惑を察知したケルソンもまた、避けられない事態に向けて備えを始めます。二人の邂逅が運命の交差点となり、哀れスパイク少年を置き去りにしたまま、物語が両者を中心として動いて行きます。
音楽・映像について
音楽について。全体的に特筆すべき曲は無いと思います。しかし、今回は挿入歌の方が印象的だったと思います。ケルソンが発電機を使って、レコードをかける場面が時々あります。その中で必然性とか場面に合っている印象はありませんでしたが、レディオヘッド(Radiohead)のEverything in Its Right Placeを久しぶりに聞いて、懐かしさを感じました。私はkid Aの収録曲の中なら、How to Disappear Completelyが一番好きです。「ケルソンのライブ」ではアイアン・メイデン(Iron Maiden)のThe Number of the Beastがかかっていました。ケルソンのライブとは、彼を覇王と呼ぶジミー・クリスタル一行が神殿を訪れた際、ケルソンは音と火の祭典で彼らを迎えるのでした。化粧をした禿頭のケルソンが、ロック音楽を背景音楽に、一心不乱に踊る様は必見。闇に浮かび上がる様な白骨の神殿を、円状に放たれた炎が赤く染め、火花が飛び散り闇夜を照らす光景は、ある種の芸術性を感じました。この部分だけを切り取って見てみれば、それなりに見応えがあります。最早何をやりたいのか、何の作品なのか分からない混沌の渦でしたが。私はアイアン・メイデンの事を全然知らないし興味も無いですが、音だけ聞いてアメリカのバンドかと思いました(実際はイギリスのバンド)。好きな人には悪いけれど、何と言うか大味で、古臭くて田舎い印象でした。やはり洋楽は基本的に、90年代以降が洗練されていると思います。
このライブの時に、音で感染者達が集まらないか?と思いましたが、サムソンが列車にいた感染者を全員殺していたので問題無しでした。何故サムソンが他の感染者達を殺したのかと言うと、ケルソンがサムソンに盛った薬のせいで、本来の人間らしさを取り戻していたからです。それによって、他の感染者から自分達とは違う「脅威」と見なされ、襲い掛かられたからです。これも計算の内だったのでしょうか。そう考えると、ケルソンは感染者に対して不殺を貫いていると言う訳ではなく(結果としてサムソンを利用した感染者の殺害)、サムソンだけ特別に目をかけていたのでしょうか。ケルソンは中々、食えない奴だと思います。
映画の一番最後、スパイクとジミーズ唯一の生き残りのジミー・インクが、感染者達に追われている場面があります。そこで彼らを遠くから発見したのがジム(キリアン・マーフィー役)とその娘(と思われる)二人組。彼女はセリーナとの間にできた子でしょうか?この映画では、セリーナは登場していないので生死不明です。ジムが女の子に、彼らを助けるのか聞かれた時、ほんの一瞬の間を置いて助けると決断したのは流石。ここでかかるのがIn The House-In a Heartbeat。事前情報を全く得ていなかったので、ジムの登場で「おおっ」と驚きましたが、そこでこの曲がかかったのが良かったです。まさかこれを最後のクレジットに入れて来るとは。28日後…と言えばやはりこの曲。この曲は単体で聴いても良いし、この曲に合わせてどしゃ降りの雨の中繰り広げられる狂気は、映画史に残る名場面でしょう。やはり28日後…は最高!!しかしながら、この曲は然るべき場面で使われていたからこそ価値があったのであって、今作の様にクレジット部分で使うのは違和感がありました。幕引きで使う様な曲ではないでしょう。
映像について。映像は綺麗で見易く、見所は前述したライブの場面でしょう。そして、今回もかなり残虐な表現があります。サムソンが人の頭を引き抜き、さらに割った頭蓋から中身を食べている場面がありますが、とても悪趣味です。また、刃物を使った暴力がかなり多い映画で、最初にフィンガーズの一人がスパイクに刃物で刺され、動脈が破れる場面があります。ここは人体が損壊する直接的な描写よりも、ずっと恐ろしく気持ちが悪い感じがしました。私は出血の表現が苦手です。また、他の生存者達がフィンガーズに腹を掻っ捌かれたり、腕を切られたりするのが本当に酷いです。前作に続いて、何を売りにしたいのか分からない。人の身体を損壊する直接的な暴力表現、そう言ったもので恐怖や不快感を煽る映画ではないでしょうに。
役者について
キリアン・マーフィーは流石に年を取りましたが、相変わらずの色男で。ほんの一瞬の出番でしたが、見られて良かったです。彼の娘に勉強を教えてやる、面倒見が良い父親ぶりが窺えました。「第二次世界大戦勃発の原因が、敗戦国の経済的な困窮にある」みたいな事を娘に教えていましたが、確かにその通りでしょう。ドイツは第一次世界大戦の戦後賠償に苦しみ、そんな中登場したのがヒトラーです。人の歴史は戦争の歴史ですが、会話に登場したその暗い影が、この作品とよく合っていると思いました。キリアンの顔を拝めたのと、前述したIn The House-In a Heartbeatを聞けただけでも、この映画を観た価値があったかもしれません。
今回はジミーズとケルソンが一番目立っていましたが、演技と言う点ではケルソンが一番でしょう。ケルソンはジミー・クリスタルと会話した時、彼が危険人物だと見抜いていました。冷静に相手の話を聞き、話を合わせ、情報を引き出す。ごく短い会話の中で、ジミーが悪魔崇拝者で、覇王(old nick)も悪魔=サタンの事だと気付いていました。ケルソンは話を合わせるふりをして、対策を練っていました。やがてジミー・クリスタルが仲間を引き連れて来た時、厄介な事になると想像がついたのでしょう。
ライブの後、ケルソンは引き続き覇王の演技をして謁見を演出。ジミー・クリスタルに「磔になれ」と命令を下しました。それをフィンガーズにやれと命令し、混乱を巻き起こし、ジミーズを分断させました。策士でしょう。しかも悪魔崇拝者に対して、キリストを持ち出すとは。最後、ジミー・クリスタルが逆さに磔にされたのは、彼が聖人ではなく真逆の存在である事の象徴でしょうか。グリゴリの幹部、堕天使シェムハザも人間を堕落させた罪で逆さ吊りにされ、オリオン座となりました。ジミー・クリスタルは自分の立場が危うくなると、フィンガーズに覇王と紹介したケルソンを平気で刺しました。正気じゃないようで、打算的且つ狡猾な面も見えます。実に良い悪党で、良い小物ぶりでした。但し、演技が特別素晴らしいと言う訳ではなく、見た目と突飛な行動が目立っていたと言う印象でした。
スパイク少年は、殆どお飾りになってしまった感がありました。やはりそこは少年。急に暴力の世界に一人身を置いて、状況に翻弄されて不安に怯える様子が目立ったと思います。ジミーズに捕まった妊婦に「一緒に逃げて」と懇願したものの、突き放されてしまいました。勇敢な少年のようで、年上に庇護を求めるような姿は自然だったと思います。しかしそこは親にも平気で刃物を向けるスパイク。命までは取らないものの(結局一人は死んだけれど)、ジミーズの二人を刃物で刺していたのは恐ろしい。どんなに追い詰められても、人は恐怖心や良心などが普通は働くからです。思えば彼は、作品中で殆ど笑っているところが無い。いつも険しく不安な表情をしています。年相応の未熟さがある一方で、逞しく生存する強さもよく表れていると思います。少年特有の愛らしさが無いのは、この作品の世界の過酷さをよく表していると思います。
感想と考察
こちらでは作品の感想と考察、私なりに思うところをしたためたいと思います。ソニー・ピクチャーズの公式サイトには、この様な一文があります。
<人間>にとって最大の脅威は<感染者>ではなく、人間の<非人間性>こそが、最も恐ろしいものとなり得るのだ――。
私は今更だと思います。何故ならこれは、一作目で既に表現されていた事だから。この他、煽り文句に「恐怖こそが、新たな信仰」とありますが、これも的外れと言うか、しっくり来ない。先ずはこの映画で一番重要なジミーズについて、私の感想を述べます。
〇ジミーズについて
ジミー・クリスタルは恐怖政治を敷いていた訳ではありません。世紀末世界で悪魔崇拝の変人に、これまた変人が迎合しただけだでしょう。ジミー・クリスタルの命令は絶対の様な雰囲気は醸していたものの、部下達を虐待したり、粛清する様な場面はありませんでした。フィンガーズは自由に行使出来る暴力、傍若無人な振る舞い、自分より弱い者達を嬲る下卑た趣味など、ジミー・クリスタルに意気投合していただけに見えます。強制されていた訳ではなく、殺人を楽しんでいるのが丸分かりだったフィンガーズ。そこに悪魔崇拝のペテンが合わさって、似た者同士の寄り合い所帯が出来上がった。腐った人間の元に、腐った人間達が集っただけです。自由民主党と同じですね。
前述しましたが、フィンガーズの定員は七名のようで、その席をかけてスパイクとフィンガーズが戦っていました。勝った者がその座に就くと言う、分かり易くて野蛮な仕組みです。しかしこの仕組みも、ケルソン=覇王が「フィンガーズを増やせ」と命じた時、ジミー・クリスタルはあっさりと承諾していました。結構いい加減です。この設定について、彼は深い事を考えていなかったのでしょう。
フィンガーズの名前は全員が通称「ジミー」ですが、正確にはジミー・インク、ジミーマ(エマ・レアード役)等区別があります。作中では紹介が無かったと思いますが、この他にジミー・フォックスやジミー・ジミー、ジミー・スネイク等、それぞれに固有の名前があります。そして、最初にスパイクに刺されて死んだジミーについて、スパイクに怒りを覚えるジミーがいるなど、ちゃんと人間的な感情を残しています。異常なカルト集団の様で、連帯感とか仲間意識が存在していたのが窺えます。
その中で、ジミー・インクだけが尊師に違和感を覚えているようでした。他のジミーに殺されそうになったスパイクの窮地に割って入り、あっさりと仲間を殺害。その後の報告では、正当防衛だったみたいな嘘を平気で吐いています。凡そ忠誠心と呼べるものが無いのが分かります。この世界で一人で生きて行くよりは、集団の中にいた方が良いと言った打算もあったのかもしれません。偵察に出た場面では、すれ違いざまに刃物を一閃。一瞬で感染者を無力化する強者として描かれていました。この後、他のジミーを二人殺害しているところから、かなり冷酷で腕が立つかと。一方で、自分より弱い少年の置かれた状況について同情し、庇護対象として見ていたかもしれないと思わせる態度。他のジミー達と違ってまだ優しさを残している様に見えました。彼女の本名は後に「ケリー」だと紹介があり、スパイクと二人で荒れ果てた世界を彷徨うのでした。
〇覇王とジミーズの由来について
劇中で覇王=old nickと言う言葉が多用されていましたが、私は「old neck」と聞き間違えていました。後で調べて間違いに気付きました。nickとはドイツやスカンジナビアの伝承にある、水の邪霊の事だとか。興味がある人は各自調べられたし。海外サイトで軽く調べたところ、ジミー・クリスタルは実在した性犯罪者、ジミー・サヴィルの崇拝者と言う設定があるとか。サヴィルは英国公共放送BBCの、いくつかの番組の司会を務めていたそうです。ジミーズが多用していた「どうだ?(how`s that?)」と言う言葉は、サヴィルがよく使った台詞の「how’s about that, then?」が起源のようです。ジミー・クリスタルがこの言葉を口にすると、手下達も同じ様に繰り返す暗黙の了解が出来ていました。妙な統率力があると感じました。フィンガーズは短く剃った頭に鬘を被り、ジミーに似せた外観で統一。服装もジャージで統一。そして武器は刃物で統一。象徴的な物や統一感は強制や服従を強いると言うより、まるで戦隊ものみたいなごっこ遊びの感があったり、帰属意識を刺激している様に思えます。前述した「恐怖こそが、新たな信仰」について、この恐怖とはむしろ内よりも外に向けられていたと思います。ジミーズは刃物を暴力解放の手段として使っていましたが、確かに相手に恐怖心を植え付けるには、刃物が一番かもしれない。私だったら至近距離での戦いでは、ハンドガンより刃物の方が怖いです。刃物なら、自分がどの様に傷付くか容易に想像出来てしまうし、その見た目が根源的な恐怖を覚えます。人類の歴史に於いて、大きな変化点はやはり鉄器の出現でしょう。今でも刃物は鉄が主流で、非鉄金属やセラミックより圧倒的に鉄素材が多いです。刃物は死や戦争を想起させる恐ろしい道具ですね。
それから、ジミーズの統一されたジャージ姿や、ジミー・クリスタルの装飾品もサヴィル由来だとか。気のせいか、ジミー・クリスタルのジャージだけ黒紫色の高そうな代物で、黄金の首飾りと相まって、見た目が綺麗に見えました。その辺は指導者として、見た目の差別化を図ったのかもしれません。サヴィルについて、ここではこれ以上深く掘り下げません。私は変態下種野郎の事を、進んで調べる気にならないので。BBCはサヴィルの性犯罪について、火消しに躍起だったみたいですね。
〇ジミー・クリスタルについて
ジミー・クリスタルは恐らく本当に、常人には見えない何かが見え、聞こえない何かが聞こえていたのでしょう。これが感染者の「見えない脅威に反応している」と言うところと、少し重なる部分があって面白い。最後、逆さに磔にされたジミー・クリスタルが「もう何も聞こえない」と言っていました。しかしその目には、サムソンの頭部から本来ある筈の無い角が見えていました。演技ではなく本当に、何かと交信していたであろうジミーも、中々に狡猾なところがあります。ケルソンとの会話を経て、彼が覇王ではない事を理解しました。しかし手下の前で彼が覇王だと言った手前、違っていたら面子が立たない。だからケルソンに「腸を口に詰めて殺す」みたいな脅しをかけた。要は口裏を合わせろと言う事です。そして覇王を装ったケルソンが「ジミー・クリスタルをフィンガーズの手で磔にさせろ」と命令した場面では、自分の立場を守るためにあっさりと、覇王だと認めた男に攻撃を仕掛けるのでした。冷静と狂気の間を行ったり来たり、何処までが正気なのかよく分からない男。そして自分を大きく見せる事に執心し、狡猾で打算的、その実小物。その矮小さが、確かにカルト集団のお山の大将にぴったりだったかもしれません。見た目の印象の強さもあり、中々面白い登場人物だと思います。
〇サムソンについて
この映画の最初の方で、サムソンと他の感染者達が人を食べる場面がありましたが、恐らく感染者が人を食う描写が出て来たのは、これが初めてではないでしょうか。そんな凶暴なサムソンもケルソンが調合した薬で、徐々に元の人らしさを取り戻していきます。ケルソンと踊ったり、風を受けてざわめく木々に反応したり、野苺みたいな物を口にしてみたり。腰布を巻いてみたり。そして途中から真っ赤な目が茶目に変わり、目に正気の光が宿っていきます。
そしてついに、サムソンに自我が芽生えて言葉を喋るようになります。最初の発語は「moon」だけでしたが、途中で「切符がありません」と喋ったり、最後は息を引き取ろうとしているケルソンに対し、ほぼ流暢に言葉を喋っていました。これは医学書を読んで薬を作ったケルソンの手柄ですが、ちょっと待って欲しい。もっとまともな医療設備があれば、レイジウイルスの研究はとっくの昔に終わっていたのでは?28週後…(原題28 Weeks Later、2007年制作)の世界なら、感染者を元に戻せていてもおかしくはない。あの映画では一時混乱が終息し、文明的な社会で人々が暮らしていましたから。対してケルソンにある物は、発電機と残り僅かな医薬品のみ。設定に隙が多過ぎです。
ケルソンは感染者の攻撃性の源は、異常な細胞の増殖が原因とか色々言っていましたが、精神的なものも原因であるとも言っていました。実際、サムソンを通した視点では、彼の目には普通の人間がそれこそ感染者に見えている場面がありました。ケルソン曰はく、感染者は「脅威の対象」に攻撃をしかけていると。脅威として映らなくなったケルソンには、サムソンが襲う事は無かった。最初はモルヒネを有効成分とした麻酔でサムソンを大人しくして、サムソンはそれで得られる快楽と安心を求めてケルソンの元を訪ねて来ました。「既に死への恐怖が無い」と言うケルソンは自分にも麻酔を使い、青空の下でサムソンと隣り合わせて眠りに付きます。結局、寝ている彼をサムソンが襲う事はありませんでした。ケルソンの薬を飲んだ後のサムソンの目は、最早正気を取り戻している様に見えました。
前述した「切符がありません」と言う言葉についての考察。途中でサムソンの記憶と思しき光景が映し出されます。この部分は想像しか出来ませんが、サムソンは不法移民だったり、かなり不味い立場にいたのではないのでしょうか。車掌から切符を拝見と言われますが、多分切符が無く乗車していたのでは?その時の、他の乗客達が彼と彼の家族に向ける視線が、根源的な恐怖として残っている。感染後はその時の記憶の影響で、人間を攻撃するようになったのかもしれません。追憶の後、列車に乗り込んで来た他の感染者からすると、正気に戻ったサムソンが「脅威」として映ったのか、一斉に飛び掛かって来ました。最後にケルソンが死んでしまったので、結局感染者達を救う手段が継承されませんでしたが、今後どうなるのか見物です。と、この文章を打っている時に閃きがありました。閃きと言うか漠然とした思いと言えば良いのか。感染者達の目に健常者が脅威と映るのは結局のところ、感染者でもないのに平気で人を殺すジミーズの様な存在がいる事から、感染者と非感染者に大した違いは無いと言う事。人間は暴力的で、救いようがない生き物であると言う真理に落ち着く訳です。
総評
結論として、28日後…の正統な続編とはやはり認められません。しかし別物の映画と考えれば、受け入れる事も可能かもしれません。もう完全に題名を変えて、28日後…とは何の関係も無い映画にすれば良かったのに・・・驚くべき事に、ジミー・クリスタルが作中で感染者の事を「ゾンビ」って言っちゃってるし!!ゾンビ映画ではないのに、それを言っては駄目でしょう。胸糞悪い残虐表現もこの映画を完成させる為に、本当に必要な要素だったのか疑問です。私にとっては、悪趣味でしかなかった。最早、28日後…が持つ雰囲気は消えているし。三作に分けると言うのも、壮大な物語を演出する為の手段と言うより、一作に纏められない野放図さの方が際立っています。三部作って、殆ど成功事例が無い気がします。28週後…でイギリスからフランスに感染が拡大したところで終わったのだから、そのまま世界編に繋げるとか、レイジウイルスの起源に迫るとか、もっと他にも話の展開の幅があった筈です。名前だけ借りた別物の映画に変化してしまって、そしてその内容は芳しくないと・・・
義務的に二作目を観ましたが、もう毒を食らわば皿までと言うか、三作目も観に行きましょうか。余程好きな人ではない限り、劇場に足を運んでまで観る映画ではないと思います。否、正確に言えば、28日後…の本当の理解者である程、忌避する映画だと思います。一見さんにも、積極的にはお勧めしない映画です。
最後に
気になる伏線を多く残したまま終わった二作目。逃げた妊婦がどうなったのか不明で、若しかしたら大して重要な役ではなくて、これっきりと言う可能性も。サムソンはどうやら正気に戻ったようですが、彼が三作目でどの様な動きを見せるのか。そしてジムと娘はどの様に関わって来るのか。セリーナは何処に?スパイクとケリーはどうなるのか?そして、忘却の彼方にいるスパイクの父親。本当に三作目で、綺麗に終わるのでしょうか。劇場公開終了より前に記事を書きたかったですが、とても時間がかかってしまいました。競い合っている訳ではないけれど、いついつまでにやるって言う目標を立てないと、人はいつまで経ってもやらないですから。次はアニメ映画の記事にします。
記事公開 2026年2月14日

