初めに
今回紹介するのはれいわ新選組の山本太郎氏(以下、敬称省略失礼)がまだ芸人だった頃に出した本、山本太郎 闘いの原点です。出版社は株式会社筑摩書房の第三刷(2019年10月25日発行)です。本書は2012年に集英社から発行されたひとり舞台 脱原発 闘う役者の真実に加筆・編集を加えた物です。先発の本は中古しか出回っていないと思いますが、これから購入を考えている人は、後発の闘いの原点を買えば良いです。私は実体が無い物が嫌いで信用しない主義なので、本は絶対に電子書籍ではなく紙の物を購入します。
雨上がりの翌日、5月中旬とは思えない程に暑く、湿度が高くて不愉快な日。来る参院選に向けて記事を書き始めました。少しでもれいわの事を人々に知って貰いたいからです。平日は福祉の仕事、休日は勉強の為の読書、ブログ記事作成、買い物、簡単な炊事。たまに政治活動への参加等、日々多忙ですが満足しています。勿論、自分の人生を思う存分楽しむ事も忘れず。この記事を書いている今、ウィスキーを飲みながらスロウダイヴのアルバムを聴いて、残り少ない休日の時間を有効に使っています。

れいわ新選組と言えば、貶める目的で所謂レッテル貼りをされている事で有名です。しかし、次第にれいわ新選組が、代表の山本太郎が本物であると気付く人達が増えています。これも先の衆院選で、議席三倍増と言う快挙を成し遂げ、露出が増えたお陰だと思います。東国原英夫(ひがしこくばるひでお)、今井絵理子、橋本聖子は芸人崩れ。馳浩はただのプロレス興行やってる政治屋であって、政治家ではありません。プロレス興行とは「やらせ」であり、只の道楽や商売と言う意味です。国民民主党も興行団体です。自由民主党に反目している様に見せかけ、机の下では手を握り合っています。山本太郎は本物の政治家。こいつら紛い物とは別格です。東国原は全く興味が無い有象無象なので、つい最近までずっと「ひがしこくばら」だと思っていました。本当にどうでもいいですが。
本書は山本太郎が政治活動を始める前、東日本大震災を受けて彼が取った行動や、生い立ちに纏わる話が詰まっています。れいわの政策・理念等はYouTubeの動画でいくらでも確認が出来ます。この本はどうして彼が政治家になったのか。何故、本当に好きだった役者の仕事を諦めたのか。普段は見えない過去の記録を通す事で、如何に彼が政治に目覚め、そしてそれが必然だったと良く分かる内容になっています。
毎日のように、自民党や取り巻きの連中がれいわを貶める工作を展開しています。一方で、よく知ったかぶりをしている人達や、世論操作にまんまと騙されている人達が、裏付けも取らずに山本太郎を非難しています。残念ながら、深く洗脳に嵌まってしまった人達を呼び戻すのは至難の業です。なので、本書はれいわに興味を持ち始めた人達や、れいわを支持したいけれど確信が持てない人達にこそ読んで欲しいと思います。本書を読めばこれまであった疑念を晴らし、偏見を改める事請け合いです。そしてきっと彼に感謝する事でしょう。
震災と原発の事故は、人類史上において稀に見る極めて悲惨な出来事でしたが、天は人を見放さず。代わりに、山本太郎と言う救世主を誕生させました。彼が政界の階に足を掛け、そして駆け上って行く転機を生み出したのは、大きな意思が働いているのだと思います。この世は本来、一方的な創造も破壊もありません。創造・維持・破壊の三竦みだからです。しかし現在は何も生み出さない破壊行為が世界中を覆っています。洪水は人や建物を飲み込む一方で、栄養を豊富に含んだ水が大地に浸透し、引いた水は河川を通して大海まで運ばれます。つまり再生が始まります。自然界では、無駄な破壊は存在しません。三竦みの均衡が崩れている今、それを修正する使徒として、彼は使わされたのだと思います。私は宗教がとても嫌いですが無神論者と言う訳でもなく、漠然と何か大いなる者の存在を感じています。その呼び名は「神」でも「偉大な何か」でも「宇宙人」でも、何でもいいですが。
今は右と左の戦いでありません。搾取する者達と、虐げられている大多数の庶民の、生死を分けた戦争です。左右は対等かもしれませんが、上下には明確な力関係があります。思えば、日本では憲法成立から今日に至るまで、法の下の平等は一度も守られた試しが無いでしょう。真の民主主義を国民が手にした時、漸く戦後日本は本当の意味で新生するのだと思います。既存政党の中で真の民主主義を齎すのは、れいわ新選組しかあり得ません。では、本の内容を余り出し過ぎないように注意しつつ、自分の思うところを込めて、忌憚の無い感想を述べたいと思います。
序章について
文庫版序章が最初に来ますが、ここで木村元彦氏と対談形式で話が進んで行きます。ここに書かれている事を初めて知った、と言う人は多いと思います。私は先ず最初の方に登場する「学校で頑張れば、努力すれば報われると言われ続けてきたけど、就職も非常に厳しい。(12頁より一部抜粋)」と言う一文が胸に刺さりました。これは所謂氷河期世代についての事ですが、確かに私も職業は選択と言うより妥協ばかりでした。入った会社はほぼ100%所謂ブラック企業で、辞めても再就職や空白期間で苦しみ、完全に人間性を失いました。
「学校で頑張れば~」と言う言葉は、私の暗い過去を思い出させ心に響きました。何かと言うと、私も学校の教師に「頑張れば絶対に幸せになれる」みたいな根拠の無い説教を繰り返し聞かされたからです。じゃあ、頑張ったのに幸せになれなかった人はどうなるのだ、と。何でも自己責任、本人の努力不足に摺り替えられる世の中ですが、学校の成績や学歴で人生が決まる世の中は絶対間違っています。学校と言う息苦しくて思考が閉塞された空間で、随分と屈折した人格になってしまった事を思い出します。どんなに魅力的な個性や素晴らしい潜在能力を秘めていても、点数が低ければ落ち零れになるのが、日本の学校教育です。落伍者として扱われたら、その様に本人が感じてしまったら、ずっと劣等感に苛まれて生きて行く事になります。私自身、小学生の時に「いてもいなくても同じ」と教師に言われた事があります。その教師は何気なく言葉を放ったかもしれませんが、たかが体育でサッカーに興じている時間に使う言葉じゃないですね。私の時代にもたまにですが、屑みたいな教師がいました。
学歴や資格が、人の能力や優秀さを測る決め手にはならないのは、現実が証明していると思います。何故かと言うと、国会議員は自称高学歴が沢山いますが、国会の中で一番頭が良くて優秀なのは山本太郎だからです。立憲民主党に、弁護士の資格と医師免許の両方を持っている米山隆一がいます。発言の数々を見れば分かりますが、はっきり言って頭悪いです。れいわ新選組のおしゃべり会の動画に探せば出て来ると思いますが、山本太郎の秘書を務めている方で最終学歴が幼稚園卒みたいな話があります。略して「幼卒」とかで会場の笑いを取っていました。今は立派な戦力として働いているそうです。このように、学歴とか資格なんて紙切れ同然です。大事なのは、今を生きる姿と何を成したかで、人は評価されるべきです。
少し読み進めると、芸能界時代の話が登場します。「僕が反原発を唱える前までは、CMの年間契約が1本2000万ぐらいでしたね。(16頁より一部抜粋)」と紹介されています。中堅俳優だった山本太郎のCM年間契約が一本で2,000万円だったそうです。彼が脱原発を唱えてから仕事を干されたのは有名な話ですが、自分の利益しか考えない人が、こんなおいしい仕事を手放すと思いますか?十年も続ければ、一般人の生涯年収を軽く超えるでしょう。
三好りょうさんは外務省に努めていましたが、人生安泰の職場を抜けてれいわに合流しました。人権派弁護士として知られ、森友問題で亡くなった赤木俊夫さんと赤木雅子さんの為に戦った辻恵氏は、民主党を見限ってれいわの戦列に加わりました。最近、森友関係の公文書の都合が悪い箇所が破棄されていた事実が判明しました。この件も、徹底的に追求せねばなりません。
自分の政治生命の維持しか頭になく、今だけ・金だけ・自分だけしか考えない連中は、絶対にこんな行動を起こしません。良い指導者の元には良い人間が集まります。伊勢崎賢治氏もれいわに合流してくれて、非常に感激です。彼をして、山本太郎は本物と言わしめる器なのです。
それから、世間ではよく「国会議員は給料を貰い過ぎ」と言われていますが、対談によると歳費(国会議員の給料)は殆ど生活費と政治活動費で消えて行くそうです。そして、国会議員は退職金が貰えません。歳費以外の収入がある議員以外は、選挙で負ければ即座に収入源を失う事になります。この点で見ても、少数政党のれいわ新選組を選んだ三好氏、辻氏の本気度が窺えると思います。
対照的に安藤裕、須藤元気は結局紛い物でしたね。西田昌司はガス抜き要員と言われていましたが、ひめゆりの件で完全に化けの皮が剥がれたと思います。日本会議国会議員懇談会の名簿にも入っていますし、歴史捏造・修正主義者は一人残らず消えて欲しいですね。議員の給料に関して一番の問題は、学生アルバイト以下の仕事しかしない売国奴達が、高給を受け取っているところにあると思います。政治家に限った話ではなく、実力があって成果を出せる人達には、相応の報酬が与えられて当たり前です。しかし自由民主党の議員は何百人といますが、れいわの議員一人分の価値も無いですよ。働かないどころか、国を衰退させる売国奴達には、一円たりとも払いたくありません。
政治と金について私の意見としては、選挙や政治活動には金がかかる仕組みを是正するのが一番大事だと思います。結局のところ、如何に多くテレビや新聞・雑誌に顔を出すとか、金に物を言わせたり、人を動員した政党が勝つ仕組みになっています。例えば、選挙候補者は政党ごとに人数が異なりますが、一人当たりに使える政治活動費の上限を定めれば良いのでは?テレビ番組の出演であれば、出演時間や質問回数を、全ての政党に対して平等に割り振る。金も時間も平等であれば、かなり公平に戦う事が出来ると思います。まあこれはNHKを見れば分かるように、放送法に違反して全く守れれていませんが。官民問わず法が守られていないのは、遵法意識が全く無い自由民主党が政権を取り続けているのが一番の原因です。頭が変われば下も変わる筈です。
それから、宗教勢力と政界の強固な癒着も絶対に是正しなければなりません。GHQによる神道指令と憲法の信教の自由により、国家神道の体制はまんまと崩壊したかに見えました。しかし実態はどうでしょう。その後の生長の家や日本会議による政治介入、カルト宗教の創価学会が公明党の支持母体となったり。オウム真理教や世界平和統一家庭連合(統一協会)の件もあります。結局のところ信教の自由は守られておらず、完全に裏目に出ています。
憲法第二十条【信教の自由】(原文のまま)
①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
このように、国家だけでなく宗教団体も釘を刺されているのが分かると思います。所謂政教分離で、互いに干渉しない事を命令している訳です。教義の押し付けも出来ません。①は統一教会や創価学会が自公に関わっているので、憲法違反です。政治献金、組織票、選挙時に応援を動員する等です。何故、違憲なのか。何の見返りも無しに、政治と結び付く訳が無いでしょう?そこはお察しです。
②は例えば、創価学会の場合は背後に暴力団がいたり、脱退員に制裁が加えられたり等が伝えられています。また、カルト宗教によくありますが二世の人達は強制的に入信させられたり、様々な問題を抱えています。天理教等の宗教法人が学校経営をしているのも問題だと思います。
③は義務教育課程で教員に国歌の斉唱を強制したり、校内で国旗掲揚もしています。戦前に行われた幼少期から教育勅語を刷り込む洗脳体制と、何ら変わりありません。教育基本法は第十四条で政治的中立性を求めています。世界で学校に国旗掲揚をさせているのは中国・韓国・日本だけだとか。義務教育ではないけれど、塚本幼稚園も常軌を逸しています。幼稚園児に教育勅語を唱えさせたり、運動会で「安倍晋三万歳」と言わせるのは大問題ですね。元自衛隊幕僚長の田母神俊雄が同幼稚園で講演しているのは、皆さん知っていますでしょうか。たいへん気持ちが悪いです。
ところで、この記事を書くにあたり六法全書を読み直しましたが、教育基本法と学校教育法を混ぜて考えていました。名称が紛らわしいですね。ネット上の情報も不正確なものが多々あります。自分が知らない事を調べたり、情報の裏付けの為に利用しますが、参考にした情報自体が間違っていたら意味がありません。私も人に間違った情報を伝えないよう、重々気を付けねばと背筋を正しました。例えば、よく政治家でも「政党助成金」と間違って使っている人がいますが、正しくは政党交付金です。言葉って難しいですね。



デイリー六法にはNTT法とか載っていないので、最近ついに本物の六法全書を買ってしまいました。2025年最新版です。二冊で八千頁超え、値段は15,950円もします。法学部の学生でも弁護士でもないのに、自分でも馬鹿だと思いますが、やるからには徹底的にやる性分なので。私は私なりに、政治に本気って事です。
私は信教の自由と宗教法人法は改正すべきだと思います。宗教は言ってしまえばスポーツと同じで個人の趣味・娯楽の範疇で、公益性は全くありません。何故なら宗教が嫌いな人もいれば、必要としていない人達が大勢いるからです。食べ物や水を要らないと言う人はいないでしょうが、宗教は別です。生活必需品でないのであれば、宗教を優遇する根拠が存在しません。宗教法人も課税対象にすべきです。宗教に関係無い活動には当然課税されていますが、それでも動く金の多さは相当なものです。明治神宮野球場(神宮球場)の経営は、名前の通り明治神宮が関係しています。明治神宮が絡んだ商売の年間売り上げは、軽く100億円を超えるとか。金の力は政治の力に変換されます。宗教団体の代表は政治活動を行えないとか、宗教法人による政治献金の禁止、宗教法人の認可の厳格化とか、何かやるべき事があると思います。そもそも、信仰したいのなら個人個人で勝手にやればいいので、組織化する必要があるのか?と疑問に思います。自分一人で、自宅の神棚で毎日拝んでいればいいじゃないですか。何故他人を巻き込む?法人格を与える必要が無いと思うのですがね。まあ、管理の埒外で勝手に信者を増やされるよりはまし、と思っているのかもしれませんが。
本書の感想から大分脱線してしまったので、そろそろ戻ります。本編に関係無い蘊蓄の多さと言えば京極夏彦の小説が有名ですが、久しぶりに彼の小説を読みたくなってきました。
第1章について
この章では、震災と原発事故で山本太郎が何を思い、どのように活動を始めたのか説明がされています。忘れもしない2011年3月11日に大震災がありましたが、山本太郎の行動は速く、同年4月10日に高円寺で開催された反原発デモに参加しています。名前も顔も知られた彼がデモに参加するのは、役者生命を危険に晒す行為ですが、きっと他の参加者達は勇気づけられたと思います。このデモに参加する前、彼が「鬼軍曹」と呼ぶ母親が引き留めようとしたようですが、子を想う母の優しさを感じられる良い場面です。普段は厳しくとも、きっと息子の身を案じたのでしょう。
東京都民は知っているでしょうか。福島県の原発で作られた電気は、福島で1Wも使われていないと言う事実を。そして原発推進派で人間の屑代表の一人、石原慎太郎を長期にわたって東京都政に関わらせた都民の責任は重いです。最大の責任は勿論政治にありますが、その政治も国民・市民が選んでいるので、責任が無いとは言えません。都知事と言えば小池百合子も石原と同じく元自民党ですが、自民党出身者はやはり碌な人間がいませんね。何処を切っても同じ顔なのが自民党です。自民党と言う箱の中身は、全て腐っていると思った方が賢明です。
石原慎太郎と言えば女性・障がい者蔑視で有名だと思います。他には「マン島旅行」に代表される公費の私的流用を始めとした都政の私物化、新銀行東京の破綻、オウム真理教との繋がり、七生養護学校の事件など、奴が犯した悪事は枚挙に暇がありません。「公費で旅行」と言えば、松川るいとか今井絵理子もいましたね~。本当にくたばれって思いますね。
原発の危険性は子供でも知っています。誰でも学校で、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の事故を習うと思います。あそこは20,000万年以上経過しても人が住めないと言われています。映画トランスフォーマー/ダークサイド・ムーンにも出て来ますね。危険な原発を福島県民に押し付け、自分達はその結果だけを享受する。自分達が使う電力なのに、自分達は危険から遠ざかり、いざ事故が起きたとしても充分逃げる時間があります。東京都民は、福島に対して申し訳なく思いませんか?
ここで一つ蘊蓄を。電気は大雑把に分けると特別高圧・高圧・低圧の三種類になります。送電は特別高圧でされていると思います。電気は配線の総延長が長くなる程、損失が大きくなります。そして、流れる電流が大きい程、電力損失も大きくなります。ジュールの法則(第一法則)はQ = I²Rtになります。これはQ(熱量)とはI(電流)の二乗にR(抵抗)とt(時間)を掛けたもの等しいので、抵抗と時間が同じなら電流の二乗分、多くの熱が発生すると言う事が分かります。電力損失を防ぐ為には、流れる電流を減らしてやれば良いと言う事になります。電力の計算はW=VIで行います。電力(W)はV(電圧)とI(電流)をかけたものに等しい。例として100W=10V×10Aと100W=50V×2Aの二つを比較しても、電力は同じである事が分かります。電線には許容電流と言うのが決まっており、電線が太い程この許容電流は大きくなります。ブレーカーに過電流を遮断する機能が付いているのは、許容を超える電流を検知した時に、電流が焼けるのを防ぐ為、瞬時に遮断するのが目的です。つまり送電電圧が高ければ、それだけ電線を細くする事が可能で、配線作業の負担を軽減するのと同時に、線材の経費削減に繋がっています。実際、工場の配線で断面積325m㎡の三本線なんて言ったら、とてつもなく重くて大変です。
話を原発に戻しますが、いくら送電線が細いと言っても、それを福島から東京まで整備するのは、どう考えても大変な作業であり無駄でしかありません。そしてインフラは老朽化します。後の処理も大変です。案の定、山本太郎もこの無駄について指摘しています。誰でも無駄だって分かりますね。例えば東京湾付近に発電所を建てれば、そこから東京23区に送電するだけで済みます。本当に自分達の事だけしか考えていないでしょう、東京電力は。そして国と東京都も。電力会社の広告費用について「事実、東京電力の対メディア広告費だけで200億円は超える。電力会社全10社では860億円、日本最大の広告主である。とても批判的な報道はできない。(35頁より一部抜粋)」と紹介されています。広告費だけで200億円も使えるのは、それを回収出来るだけの収益があるって事です。自分達の利益の為に、多くの国民の命を危険に晒す。本当に人間の屑どもだと思います。
福島の原発で炉心融解があったのは周知の事実ですが、「政治家の利権が絡んだことで原発が建てられたところが、よりによって活断層の上(御前崎の浜岡原発)だったり、緊急時のバックアップ電源が通常電源の真横に置いてあったり(福島第一原発)とかね。(44頁より一部抜粋)」と、このように山本太郎も事実を知って愕然としたようです。
2006年12月13日、日本共産党の議員吉井英勝氏が「巨大地震による原発の電源喪失と、それによる原子炉の冷却が出来なくなる危険性」について、質問主意書として提出していました。この主意書は12月22日に受理されましたが、安倍晋三は「電源喪失が発生するとは考えられない」と言う答弁書を送付。結局、対策が取られる事はありませんでした。2011年3月11日、福島第一原発で「全電源喪失事態」が発生し、炉心融解による放射性物質拡散を招きました・・・こう言う事をするから、安倍は共産党にA級戦犯と呼ばれるのです。

この主意書は、衆議院の公式サイトでHTML及びPDF形式で掲載されているので、誰でも閲覧出来ます。上記に画像を添付しましたが、このように政府は炉心融解の危険性を早くから認めていました。吉井氏は日本の原発で起きた事故や海外の事例も引き合いに出し、原発の安全性が非常に疑わしい事を、非常に鋭く切り込んでいるのが分かります。共産党は色々言われていますが、れいわの次ぐらいにまともな政党だと思います。まあ、最近の山添拓氏の発言を見ると、ちょっと怪しいところはありますが・・・
近年、原発の「汚染水」を「処理水」と偽って海に垂れ流し、中国から顰蹙を買っていました。私は中国の肩を持つ訳ではありませんが、私が同じ立場なら同じ反応を示したと思います。たまに「福島の風評被害が~」みたいな馬鹿な事を言う連中がいますが、真実を語る事の方が福島県民の為になります。日本の近代史において、水質汚染による健康被害は沢山ありました。それを繰り返したいのでしょうか。もし処理水とやらが本当に安全なら、安全だと主張する連中が率先して、福島近海で獲れる海産物を積極的に消費し、処理水を生活用水として使いなさい。水だって大事な資源なのだから。それを数十年に渡って一日も欠かさず継続し、全く健康被害が出なかったなら安全と認めます。
生物が取り込んだ有害物質の毒性が強化される事を生物濃縮と言います。これは陸上より、海洋生物の方が強く出るそうです。日本人に馴染みが深い鹿尾菜(ひじき)ですが、実は鹿尾菜には有害金属であるヒ素が多く含まれています。正しく調理すれば問題無いようですが、日本人は長年食べ続けているので、耐性が付いているのかもしれませんね。ヒ素と言えば昔の欧州では毒殺を防ぐ為、銀の食器が普及したとか。日本の四大公害病の一つ水俣病は、メチル水銀を取り込んだ魚などを人間が食べて、深刻な健康被害が出ました。これも生物濃縮の典型です。山本太郎は汚染水の問題で、この生物濃縮について言及しています。彼が非常に勉強しているのが分かる良い例です。君子危うきに近寄らず。被害が出てからどうこうすると言うのは極めて愚かで、最初から予防原則を張っていれば何の問題も生じません。汚染水を流すなと言うよりそもそも「原発を造るな」が正解です。
第2章について
この章は山本太郎の生い立ちと、どのように芸能界へ入って行ったのか、その経緯について語られています。彼の母親は女手一つで子供三人を育て上げたようで、貧しいフィリピンの子供の里親になるボランティア団体に入っていたとか。非常に教育熱心で、服の畳み方や掃除などを厳しく躾けたそうです。いつ親(自分)が死んでも、子供が一人で生きて行けるようにと願い、厳しく接していたようです。そんな厳し過ぎる家庭が嫌だった山本太郎にとって、学校が安らげる場所として機能していたようです。高校を中退して芸能界に入った理由の一つとして、家を抜け出したかったのもあったようです。学校が非常に居心地悪く感じた私とは、実に対照的です。本当に小・中学校には良い思い出がありません。高校に入学した時それまでの義務教育と比較すると、いくらか解放された気分になったけれど。
現代は過保護や甘やかしが行き届き、過干渉でも放任でもない程良い子育てが出来ない家庭が増えていると思います。私が子供の頃は、私が悪い事をすれば母親は平手打ちをしたものです。私は体罰は賛成しませんが、躾は大事だと思います。若くて未熟な内は道義的な事を説いても中々理解出来ないので、悪い事をすれば自分が損をする、と言う教え方しか無いと思います。衆目を集める中で怒られるのは屈辱ですが、その恥ずかしさや悔しさを二度と味わいたくないので、人は次第に学習していきます。
私の母親はそれなりに厳しかったけれど、人生に役立つ事や、人として大事な事を一切教えてくれなかったので、少し山本太郎を羨ましく思います。「隣の芝は青い」と言いますが、私が同じ状況に置かれたらすぐ音を上げるかもしれませんけれど。自分に厳しく、弱者には救済の手を差し伸べる。そんな母親に鍛えられた子供時代。その土台があってこその、政治家・山本太郎かもしれません。
個人的には芸能界のところより、子供時代の母親とのやり取りが非常に面白かったです。この章は本人も書いてて楽しかったのか、生き生きとして筆が乗っていたであろう事が、文章から伝わって来ます。山本太郎と母の歴史だけを収めた本を出したら、きっと読みたいと言う人達が続々と手を上げると思います。尤も、他人の家庭の事情についてずけずけと詮索するのは失礼なので、この本の内容だけで満足させて貰います。この章には、貴重な母親本人からの言葉も添えられています。震災や原発など暗い話題がある本書の中で、ここが良い休憩場所になっていると思います。読んでいて非常に楽しく、明るい笑いを提供して貰えました。この章だけでも、この本を購入する価値があると思います。
役者としての山本太郎と言えば、有名な作品がバトル・ロワイアル。私は基本的に邦画は観ませんが、この映画は山本太郎を確認する為だけに、「特別篇」の方を観ました。映画の中身は大した事ないのですが(悪しからず)、山本太郎の演技や存在感が一番目立っていたと思います。贔屓ではなく、多分誰もがそう思うでしょう。後は栗山千明や柴咲コウぐらいでしょうか、良い演技をしていたのは。藤原竜也は大根役者でしたね・・・
第3章について
この章についてはちょっとだけお話します。私も当時ニュースで目にしましたが、その時はぴんとこなかった「年間被曝量」について山本太郎はこう語っています。「だって、そもそも国が平常時の一般住民の被爆線量限度を年1ミリシーベルトから20ミリシーベルトまで引き上げたこと自体、すべての国民の基本的人権が侵害されてるともいえるわけですよ。(189頁より一部抜粋)」とあります。年20ミリシーベルトは屋外で3.8マイクロシーベルト毎時に相当します。難しい話ですが、これは労働基準法で十八歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」で定められている0.6マイクロシーベルト毎時の約6倍になるそうです。自分で六法全書を引いてみましたが調べ方が悪いのか、この事は確認出来ませんでした。労働基準法の第六十二条に「有害放射線」と言う単語が出て来ますが、正確に数値が記載されていないので、私にはよく分かりませんでした。何にせよ、基本的人権が侵害されているとは御尤もで、法で規制している上限を超える被爆量を国民に強いるのは、犯罪と言って差し支えありません。出来る事ならこれを決めた連中に高放射線を浴びせて、苦しみ抜かせたいですね。IAEA(国際原子力機関)は日本の原発事故をチェルノブイリ以上の未曽有の原子力災害として認定していたそうです。当時、如何にして国と報道各社がこの事故を矮小化していたのか、その時の私には気付けませんでした。
第4章について
第4章はもの凄く短いのですが、ここに山本太郎の強い正義感と、一体何処から湧き上がってくるのかと驚嘆させられる、溢れんばかりの行動力が端的に表れていると思います。彼は震災があった年の冬に、三週間に及ぶ海外取材を行っています。この章はその取材について書かれています。何の取材かと言うとドイツ、ベラルーシ、ウクライナと、原発の問題を抱える国々を自分の目で見て回ったのです。当時はまだ役者で、政治家ですらなかった「一般人」の彼がです。現職の政治家でも、こんな事する人他にいませんよ。東谷義和とか言う、仕事を放り出して海外逃亡した馬鹿な国会議員はいましたけどね!本来の役目である記者ですら、こんな事してくれなかったでしょう。
ドイツでは、フランスから放射性廃棄物が運び込まれると言う事で、現地で行われた反対運動に参加したそうです。この現地に溶け込む適応力、度胸は大したものです。子供の頃の海外経験も生きているのでしょう。舞台となったのは中間貯蔵施設があるニーダーザクセン州のゴアレーベンと言う町なのですが、ここに原発はありません。福島と状況が似ています。原発の利益は一切存在しないのに、負債だけ押し付けられる。海外でも、日本と同じ理不尽に苦しむ人々がいると言う事です。ドイツが日本と違って偉いところは、原発推進派だったメルケル首相(当時)でさえすぐに原発停止を決めた事です。福島第一原発の事故を受けて、国内17基の原発を2022年までに停止する事を決定したのです。
2023年4月15日にドイツで最後まで稼働していた原発が停止し、脱原発が達成されました。現在ドイツはグリーンエネルギーの先進国です。脱原発達成も素晴らしいけれどもう一つ、政府が政策を守った意味がとても大きいですね。当たり前の事ですが。日本だったら票集めのために、甘い匂いがする公約を掲げて国民を騙し、選挙が終わればどこ吹く風です。多くの国政政党にとって約束とは、反故か忘却の二択で決めるもののようですから。日本とドイツでは政治の成熟度合が全く違います。
よく自然エネルギーについて「採算が~」とか「効率が~」みたいに喚く連中がいますが、馬鹿としか言いようが無いです。それなら自動車だって最初は無駄に燃料を食うだけで使い物にならなかったし、携帯電話は馬鹿みたいに値段が高くて大きかったでしょ?投資だとか失敗無しに成功は有り得ません。それにエネルギー問題は「出来るか出来ないかではなく、やらなければ人類の未来が終わる」状況なので、喫緊の課題です。興味関心が無いなら黙っていればいいものを。頑張る人達の足を引っ張り、やる気を削ぐ事に異常なまでの執心を見せる、とても気持ち悪い奴らが世の中に沢山湧いてますね。
中島みゆきの名曲ファイト!に「闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう」と言うさびの部分があります。全く以て正鵠です。自分は何も努力せず、批判するだけで代案も出さない。そんな屑みたいな連中が掃いて捨てる程います。この歌の良いところは、苦しくて既に死ぬほど頑張っている人達に対して、それでも尚闘えと鼓舞している点だと思います。よく日本の歌は「頑張ればいつかきっと良い事あるよ🌸」みたいな能天気で、こちらを苛つかせるような幼稚で頭が悪い歌詞を乗せます。色々理由がありますが、私が邦楽を全く聴かないのは単純に共感出来ないからです。これは現実を直視して生々しさを浮き彫りにする洋楽とは、大きく異なる点です。だからこそ、ファイト!は現実と自分の人生を重ね合わせ、我が意を得たりと共感出来る部分があって良い曲だと思います。またちょっと話が逸れたので、軌道修正します。
ドイツと全く正反対の動きを見せたのがベラルーシでした。ベラルーシはウラジーミル・プーチンの腰巾着として有名なアレクサンドル・ルカシェンコによる独裁政治が続いて言いますが、2011年3月15日にロシアと共同で国内に原発を造る事に合意しました。ベラルーシはウクライナの隣国なので、チェルノブイリの事故で当然被害を受けました。ベラルーシの原発推進を例えるなら、原爆の被害にあった日本が、核兵器を保有するのと同じぐらいの愚行です。この馬鹿二人、何とか始末出来ないですかね。それにしても、政情的に不安定なこの国に、山本太郎はよく入国したと思います。私なら絶対にベラルーシやロシア、中国などにはただでも行きたくありません。スパイだの何だのと難癖を付けられて、捕まえられたくないですから。よく見るとベラルーシと日本は、図式が似ている事に気付きます。ロシア(大国)にべったりで原発推進のベラルーシ。アメリカ(同じく大国)にべったりで原発推進の日本。どちらも原子力の災害を経験している。日本の明日はどちらでしょう。ドイツの英断か、ベラルーシの玉砕覚悟か。日本の未来は、有権者である国民の力に掛かっています。
あとがき
最後の最後まで、山本太郎は感動させてくれます。
僕は特別なことを言っているわけではなく、珍しい行動を起こしたわけでもない。芸能人、社会人である前に人間として声を上げたにすぎない。「生きていたい。みんなにも生きてほしい」(227頁より一部抜粋)
単純だけれど中々伝わらないこの思いを伝える為、彼は本を出しました。そして、読んでくれてありがとうと。お礼を言うのはこちらの方だと思います。ここを読むだけで、何だか泣きそうになりました。山本太郎のあとがきは3頁。この3頁に万感の思いが込められています。
彼は政治活動なんて面倒臭いし、本当にしんどいと思っているでしょう。動画でも度々その発言が見られます。でも、何かやらなきゃ変わらないし、見て見ぬふりは出来ないし。自分が助けを必要とした時に、救済されないような世の中で生きたくない。みんなにも生き延びて欲しい。この極めて単純で、力強い本能。「ただ人として当たり前の生活を保障されたい」を確立する為、彼は立ち上がったのです。何より自分の為、延いては全ての国民の為。先ず「自分が生きたいから」と言うところで立脚しているところに、とても説得力があります。自分を大事に出来ない人間が、他人を思いやれる筈が無いので。山本太郎とれいわ新選組の面々が日々主張している事は、何も珍しい事ではありません。それこそ小学生でも理解出来るような当たり前の事、教科書にも書いてあるような事しか言っていません。でもその当たり前が当たり前でなくなっているのが、今の日本です。
能登の震災とその後の対応を見れば分かるでしょう。岸田文雄も石破茂も結局最後まで、震災があった2024年内に補正予算を組みませんでした。能登の現状は、明日のあなたの未来です。震災と豪雨の追い打ちで苦しんだ石川県に対し、国は何もしませんでした。その一方で、軟弱地盤の上に建てられた万博に、無駄金をこれでもかと注ぎ込みました。もういい加減理解したらどうでしょうか。あたなが犠牲者となった時、国は決して救済の手を差し伸べる気は無いと。
最後に
非常に重く、真面目な内容を取り扱っているものの、全体的にそれを和らげてくれるような明るさがあります。内容は政界に至る軌跡と原発関係が中心ですが、それ以外にも為になる事が書かれています。グリーンピースって知らなかったけれど、そう言う組織だったんだ、とか。後書きのさらに後ろに、震災発生からその後の経緯が時系列で載っているので、非常に親切で資料的価値も高いと思います。
山本太郎の優しさとか、人の良さ。そう言った魅力が文章からひしひしと伝わって来ます。文体が溌溂として親しみ易く、まるで目の前で山本太郎が喋っているような臨場感があります。勉強になる内容だけれど、楽しく一気に読めてしまうと思います。彼は本当に文才があって、頭が良いのが分かります。
そしてもう一つ私が感心したのは、2012年の彼と現在の彼を重ね合わせても、全く何一つ変わらないと言う事実。勿論、政治家としては年々成熟していると思いますが。これは山本太郎の本質を見抜ける人達、誰もが口をそろえて言う事ですが、彼は本当にぶれない。終始一貫している。発言に迷いが無く、その時々で取り繕ったり誤魔化したりは絶対にしない。自分が間違っている事には素直に間違いを認めますし、知らない事を知ったかぶりしない。自分を大きく見せようとせず、等身大のまま人に伝えてくれる。それでいて自分を卑下しない。絶妙に均衡が取れているのです。
頭ごなしに批判している人達にも読んでもらいたいけれど・・・読まないでしょうね。既に彼の実力と人間性を認めている人達は当然、本書に書かれている内容はご存じかと思います。政治に興味があるけれど、どの政党に票を入れようか迷っている人。れいわに興味があってもっと知りたい人。世間で一部おかしな事を言う人達がいるけれど、本当は山本太郎って凄い人じゃないの?そんな確信が持てないけれど、半ば以上にれいわの真実に気付き始めている人達は、是非この本を手に取って欲しいです。不安や半信半疑と言ったものが、確信へと変わると思います。この本を読んでもまだ疑うようであれば、もうそれは人間じゃないです。れいわ新選組の支持者でまだこの本を持っていない人は、絶対買いましょう!デジタルではなく、是非紙媒体で一家に一冊!山本太郎の理解を深めるとともに、貢献にも繋がります。
今年の参院選の公示日は7月3日と予想されています。それまでにこの記事を書き上げられて良かった。誰もこの記事を目にしないかもしれないし、私の記事が何かを変える訳でもない。でもそんな事や、自分の考えが正しいとか間違っているとか、そんな事はどうでもいいのです。兎に角、自分も何かやらなければ気が済まなかった。勿論、ネット上でぐだぐだするだけではなく参院選の時期が来れば、去年の衆院選の様に直接的な手伝いに行くと思います。それまでにもちらし配りとか、ポスター貼りとか、地道な活動はお手伝い出来ると思います。実際、たま~にですがやっています。仕事がきつくて毎日へとへとなので、中々手伝えませんが・・・自分の人生を楽しむ事が大事なので、自分でやれる範囲でやっています。
日本の未来を変えたい人達は、是非れいわ新選組に一票を。打倒、自民公明連立政権!維新も国民民主も立憲も要らない!参政党も日本保守党もさようなら!本当の愛国保守はれいわだけです!!れいわが政権を取れば大学無償化、消費税廃止、食料安全保障の確立と平和外交。良い事しかありませんよ。れいわ新選組の議席を増やして、本当に熱い夏にしましょう!!
最後に。山本太郎氏と木村元彦氏、内田樹氏、そして筑摩書房に最大の敬意と感謝を表したいと思います。原発関連で謂れのない批判を浴びたり不利益を被る危険を顧みず、この本を世に送り出したのは極めて英雄的な行動だったと思います。本当に有難う御座いました。
記事公開 2025年6月3日