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著作権法について 健全なブログ運営の為に

初めに

まず最初に、これまで私が書いてきた記事の中に、著作権の侵害に当たるかもしれない箇所が散見されたので、いくつかの記事を修正しました。修正はしましたが、自信が無い・・・暇を見ては記事を見直し、随時必要に応じて修正をしたいと思います。

きっかけは、仕事仲間と他愛の無い雑談に興じている時、ツイッターやインスタグラムなどでの画像の取り扱いについて話題が上がった時です。営利・非営利を問わず、書籍の表紙画像を掲載する場合、多くの場合において著作権の侵害になると同僚Zが口にしたからです。その瞬間、「これは不味い」と一から十まで聞くことなく即座に思い至りました。自分も書籍に関する記事を書いており、よくよく考えれば内容の一部公開もしているじゃないか。それから暫くは仕事に集中出来ず、家に帰ったらすぐ修正に入ろうと、その事ばかり考えていました。

こちらは公共の利益の為と思い、自分なりに社会に対する善意のつもりで行動した訳ですが、冷静になって考えればもっと思慮が必要だったと思います。確かに、本の表紙や内容の一部開示は宣伝になるかもしれませんが、それについては著者の方々それぞれで考えが違いますし、苦労して書き上げられた本の内容の取扱いには繊細な配慮が必要でしょう。

よほど有名で影響力が有り、大きな収益を上げているブログでない限り、訴えられることは無いと思います。特に私のブログなど歯牙にもかけられないでしょう。ただ訴えられなければ問題無いということではなく、遵法意識は大事だと思います。そうでないと、私が憎むこの国を滅ぼしかけている悪党達と同じ領域まで自分を落とすことになりますから。それに何よりも、著作者への敬意を払いたいと思います。

著作権法について

この記事を書くにあたって、久しぶりに六法全書を引っ張り出してきました。少しブログ運営をする上で役に立ちそうな記事を書いておこうと思います。どちらかと言うと対外的にではなく「自分の為に」ですが。ブログ運営で大きく関わって来るのは著作権法第一条〈定義〉の一が真っ先に来るかと思います。これには、

著作物、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

とあります。小説や論文、絵画や写真、レコード、CDなどが該当すると思います。前述の通り、本の表紙も著作物になります。工業製品は該当しないことが多いようですが、芸術性が高い物については断定できません。例えば、私が良く記事にしている酒について言えば、ガラス瓶が職人による手作りであったり、一部高価な酒類には美術品と呼んで差し支えない豪華な容器が付属するので、これらが著作権を有する可能性があるのかもしれません。著作権法に限らず、法律の解釈はある程度柔軟性と幅を持っていると思うので、人によって少し考え方は変わると思います。ちなみに、著作権法は第一二四条まであり、著作権(物)が手厚く守られているのが解ります。

本の表紙画像の使用については、一部の出版社がトリミングなどを行わない事を条件に、申請不要で許可している場合もあるそうです。故意・過失に関係なく表紙画像を使っている人は多いと思いますが、「宣伝になるから黙認されているだけ」という現実を踏まえて、決して合法ではないと留意する必要があると思います。2,3行程度の本当に短いあらすじぐらいなら、何らお咎め無しだとは思います。その程度の内容であれば、最初からブログに載せる意味も無いでしょうが。

CDについてはジャケットも著作物になるようで、これもおいそれとはブログに上げることが出来ないようです。日本の有名な悪名高き管理団体、カスラック・・・もといJASRACに訴えられそうなので止めた方が良いでしょう。作曲者が自分の書いた歌詞を、自分のブログだか何だかに投稿したら、JASRACから訴えられたという話を最近聞きました。JASRACは作曲者の権利を守ると言うより、いかにお金を集めるかしか考えていないようですね。もっと他に幾つか管理団体が現れて、製作者側も自由に管理を任せられる選択肢が増えたら良いと思います。ついでにJASRACは淘汰されて潰れたら良いと思います。

カスラックの悪行として有名なもので「障がいを持った人達が務める喫茶店に著作権料を徴収しようとした」というのがあります。京都府宇治市の「ぱれっと」と言う喫茶店ですが、調べてみるとこの喫茶店は特定非営利活動法人が経営しています。第三八条(営利を目的としない上演等)を読むと、

「公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆からの料金(いずれの名義をもってするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない」

とあります。ではこの非営利活動法人が経営する喫茶店が演奏活動を行った場合、法に抵触するかどうかが問題ですが、はっきり言って何の問題も有りません。先ず、経営母体が障がい者支援を目的とした非営利組織(公益法人)であること。次に、この喫茶店が観客から料金を徴収しておらず、出演者である障がい者や支援員に報酬が発生しないのであれば、活動内容を営利目的と断定することは100%不可能です。後は、使われた楽曲が既に公表されているものであることも条件の一つです。学校の文化祭や運動会などでの音楽使用も非営利となります。JASRACの徴収は極めて不当で、法的根拠が有りません。法の拡大解釈と言うか、誤った解釈(自分達に都合の良い解釈)をこじつけているだけです。JASRACについても、その内当ブログで話題に上げたいと思います。音楽は文化活動であり、人の精神に関わるものですが、人の心が分からない人間が著作権管理などするべきではありません。

合法的に著作物を上げる方法

これについてはいくつか方法が有るかもしれませんが、すぐに思いつくのは以下の通りになると思います。

①権利者(出版社)の許諾を得る。

②アフィリエイトの商品リンクを貼る(表示される画像は合法)。

①については影響力のある著名な人でない限り、一個人が企業相手に許諾を得るのはかなり難しいかと思います。②はアフィリエイトで稼ごうと思っている人にはお馴染みで、語る必要は無いでしょう。

私の本音としては、商品リンクのちんまりした画像ではなく、自分のカメラで撮った本の表紙をばしっと掲載したいところです。正直、著作権法は面倒だなと思いました。著作者の権利が保障されなければいけないのは当然のことですが、少し歯がゆいです。著作権は守られるかも知れませんが、文化の推進の大きな妨げにはなるかも知れません。日本の著作権(の問題)については、記事に出来たらと思います。

他に著作物の掲載をする場合、引用という手段もあります。第三二条にこうあります。

公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。

文化庁の見解によると、引用の場合、次の四つの要件を満たしている必要があるようです。

①他人の著作物を引用する必然性があること。

②かぎ括弧をつけるなど、自分の著作物と引用部分とが区別されていること。

③自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。

④出所の明示がなされていること。

①は必然性、②は明瞭区分性、③は主従関係、④は出所明示です。

①の必然性は自分の書いている文章の流れ上、引用部分が文章の中身と合致しており、引用が必要であるとか、自然であるとか、言葉が下手ですいませんが字の通りで必然性が無いといけないと言う事です。政治の話題なのに美味しい外食の引用とかを持ち出しても、意味が無いですよね。

②の明瞭区分性は、自分の書いている文章と引用された文章の違いが、明確に分かるように区別する事を指します。引用部分の字体や背景色を変えるとか、かぎ括弧を付けるなどがそれに当たります。

③の主従関係は、自分の文章と引用した文章の割合において、引用した文章が自分の文章よりも多くなってはならない、自分の記事が「主体」で引用部分がそれを補足する程度の「従」の関係でなければならないということです。文章の質も大事で、引用ばかりで自分の言葉が無いのは駄目です。

④の出所明示は、出版元、本の名前、作者名などを明記しなければならない事です。

引用ではなく、自分が本から得た知識を自分の言葉でブログに起こすのは、どうやら違法ではないようです。ただ、読んだ内容をそのまま書き写したような文章なら、見る人が見れば「あ、この文章何処かで見たぞ」とか「これは○○さんの本の文章そのままだな」と思われてしまうことでしょう。即、情報源が何か分かってしまうような内容なら、やはり掲載するのは法的にも心情的にも不味いです。だからと言って、自分の言葉の割合が高くなれば、本を読んで本当に感動したことを上手く伝えられなくなる可能性もあります。この辺の匙加減は本当に難しいですね。

最後に

言いたい事は色々あるけれでも、権利者への敬意の表明と遵法が第一なので、今後はよく法を意識して活動したいと思います。とは言っても、それでびくびくして大人しく振る舞うような自分ではありませんが。

何処かのブログで「人の悪口を書くな」と言う説教があったのですが、それは半分正解で半分間違いだと思います。悪口は「正当性が無く他者を不当に貶める行為」だと思いますが、20人殺害した連続殺人犯に「馬鹿野郎」と言っても悪口ではないでしょう。報道の使命の一つが権力の監視ですが、報道機関は碌な政治批判をしないので、色んな人達が個人のブログやYoutube動画投降などで代わりに先陣を切って、個人が出来る政治活動で国家暴力に抵抗をしているのが現状です。悪い事を悪いとはっきり言えない社会は病的で、悪い奴が悪いと毅然と罵られ、糾弾される社会の方が健全だと思います。悪人は常に退路を用意しているので、それを一つずつ潰して徹底的に追い詰める必要があります。

それから、「お前の書いた本の内容の要約を見たい奴はいねーよ」とか「お前の出した評価は要らんからAmazonの評価を見るわ」と主張する輩もいました。自称高収入ブログ経営者は偉そうな奴が多い印象です。「そんなことより本を読んで自分が得た教訓でも書け」とも言っていましたが、それこそ内容を知りたい人もいれば、個人の感想など興味が無い人、色々いるでしょう。それと、発売前の商品の評価を書いたり、自分の取り扱いが悪いのに不良品認定する人達がたくさんいるAmazonの方が、情報源としては質が低いでしょう。

私はブログの本当の価値は「嘘偽りない本音、読者受けを狙わない生の声が聞けるかどうか」だと思います。経営主体で広告を貼りまくって見辛くなっているブログは本当に沢山あって、全く読む気がしません。ブログのデザインは一見手間をかけているように見えても、個性が無く、いつも何処かで見たような似たり寄ったりの構成のものが多いです。変なキャラクターの対話形式とかよく見ますね。Youtubeならゆっくり解説とか本当に目障りです。ブログ経営が成功していると主張している所ほど、面白みが全くないのです。負け惜しみではなく、私にとってはそんなブログ作る意味が無いです。異口同音ではなく、唯一無二のブログの方が素晴らしい。100万人の追従者がいるより、たった1人でも本当に自分のブログを愉しんでくれる人がいればそれでいい。

前述した「嘘偽りない」についてですが、意外とインターネットは真実が多いと思います。勿論、嘘八百も出鱈目も大量に跋扈しておりますが、権力者や詐欺師でない限り嘘を吐いて得をする人はいないのですから。特定政党の工作員でもない限り、多くの人達が政治的中立を保っていると思います。

嘘と真実を見分けるのは難しいかもしれませんが、これは経験と直感がものをいうと思います。直感はある人無い人色々いるので、感の悪い人は人生経験を積んで勉強しかありません。たくさん本を読んで、新聞を読んで、他人の記事を読んで、自分で調べて記事を書いて、そうして知識を蓄積していけば、最初は分からなかったことが次第に分かり始めて来る。市井に出て苦労を知ることも大切です。例えば経済学者と料理人という全く畑の違う人達が、同じ話題について話して、どちらも同じ結論に至っているのなら、その情報は真実であるとか確度が高いと言えると思います。私はこれを点と点を結ぶと表現しています。点と点を結べば当然線となりますその線を集めていくと、やがて座となります。もし同じ一点しか見ないのであれば視野角が狭く、自分の顔を思いっきり近付けて紙を見ているので、そこに何が描かれているのか理解できません。全ての物事は複雑な相関関係にあり、大きく系統の違う分野でも人間関係と同じで、最終的に何処かで必ず繋がります。なので、興味の範囲を広げる事が肝要で、多方面から情報を収集する必要があります。そうしていけばやがて無関係と思われた箇所同士すら繋がりを持って、自分の貯えた知識の信用が上がり、色んな事に対する理解力も高まると思います。俯瞰の視点でなければ、世の全体像は見えてこないのです。

最期にかなり法律とは関係無い言葉を並べてしまいましたが、ブログ活動をする上で大事な事を書いたつもりです。今回は著作権法について軽く触れましたが、ブログを続けていけば表現の自由だの肖像権だの、色んな事が付いて回ると思います。慎重にブログを作成するという意味では、今回は自分にとっていい機会となりました。誰でも故意や悪意の無い過ちも時にはあるかと思いますが、自分の過ちを認め、良心を込めて挽回するのが大事だと思います。気が付くといつも最後の部分が長いですね・・・

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