NO IMAGE

百鬼時事通信 第八号 歩行中のスマートフォン使用禁止条例制定へ 愛知県江南市

新年度から禁止条例を施行

愛知県江南市で歩きながら携帯電話を使用することを禁止する条例が施行されます。市内道路、駅前広場、公園などが対象で、罰則はありません。江南駅周辺では携帯電話を操作しながら歩く人達が目立ち、中には階段から転落する人もいるようです。2020年7月に神奈川県大和市で全国で初めて禁止条例が出されましたが、やはり罰則は無いようです。施行前と比べて使用者の数は減ってはいるものの、完全に無くすことは出来ていません。つまり、罰則無しの規定はあまり効果が無いという事です。

ところで「歩きスマホ」という言葉の響きはとっても馬鹿みたいですね。「スマホ」だけでも馬鹿みたいなのに「歩き」が付くだけで、より頭が足りない感じがするのは何故でしょう。私は嫌いなのでスマホとは言わず、今でも「携帯電話」と呼んでいます。話は戻って、罰則の無い規定など抑止効果が無いので、罰金を課せば良いと思います。誰にでも過ちはあるので、一度目は注意で見逃して貰えるけれど、二度目は罰金を支払ってもらうとかにすれば良いと思います。あとは、塵を捨てるのと歩きながらの喫煙も禁止(罰金)にして欲しいですね。それから、歩きながらイヤホンで音楽を聴くのも禁止すべき。権利の主張ばかりが著しい昨今、一度しっかり、社会の気を引き締める必要があると思います。

来年度(2023年4月1日)から改正道路交通法により、自転車に乗る者のヘルメット着用が「努力義務」となりました。あくまで努力義務で強制ではありません。このような話を聞くと、日本人が増々馬鹿になって、間違った方向へ邁進していると感じます。自転車に乗る人の安全は、乗る人自身が自分の責任で考えれば良い話です。事故に合って大怪我をしたり、死んだりして困るのは本人だけです。そんなことよりも、歩行者と同じで自転車を運転する者も、喫煙・携帯電話使用・イヤホンで耳を塞いで音楽を聴くことを禁止にすべきです。本人が痛い目に合うのは自業自得ですが(そんな馬鹿勝手に死ねと思いますが)、巻き込まれた人が可哀そうです。どう考えても、こちらが優先でしょう。こんな事も日本人は解からなくなっているのです。実に嘆かわしい。現代日本人の携帯電話使用について苦言を呈したいと思います。

危機管理能力を育てることが重要

日本の社会はとにかく「世間体を気にし過ぎる・体裁を取り繕う」、「責任逃れ」、「過保護」、この言葉が付いて回ります。海外では景観を重視し、危険な場所でも安全柵を設けないという話を聞いたことがあります。墜落する危険性があると知っておきながら崖に近づいて、それで落ちてしまったら自己責任という話のようです。

日本中で恐らく危険であるからという理由で、学校や公園から遊具が撤去されている所は多々あると思います。遊具だけでなく子供が登ったら危ないという理由で、公園から樹木が撤去されたり最初から植えられない事態も散見されます。その多くは「訴えられたら嫌だ」という理由から遊具の撤去をしたり、設置を躊躇うのではないでしょうか。「危険を考慮して」と言えば何か頭を捻って考えたような言い訳が成り立つと思っているのでしょう。禍の種を撒かない方が賢明であると、最初から自己保身と責任逃れを勘定に入れて動いているようにしか見えません。勿論、何かあった時にすぐに公共物や公的機関に責任を被せる馬鹿市民・馬鹿親にも相当非があるとは思います。正に「ごねた方が得」なのです。

私が小学生の頃、3,4年生ぐらいだったでしょうか。もう記憶が朧ですが。金属製のそれはとても立派な遊具が建設されました。登り棒(縄)あり、滑り台あり、じゃらじゃらと揺れる橋や、トンネルもありました。子供は創造力が豊かなので通常の使い方では飽き足らず、遊具を鬼ごっこに使ったり、度胸試しみたいな感じで遊具の天辺まで登頂するといった、少し危ない事もしていました。時々調子に乗って怪我をする事は当然あります。私は運動会の日、縄にぶら下がって遊んでいたところ鉄棒に頭をぶつけてたんこぶをこしらえました。当たり前ですが自己責任と弁え、保健室に行っただけで後から騎馬戦にも平気で参加しました。それが当たり前でした。時々母校の前を通ることがありますが、遊具は無くなり、プールは目隠しの柵で覆われ、樹木は撤去されました。盗撮や不審者排除の目的もあるのでしょうが。箱庭で管理して外界から途絶することは、果たして本当に護ることに繋がるでしょうか?

子供を過保護にすると、自分で何が危険であるのか判断する能力が育たず、創造力も欠如します。子供は痛い目を見て、危険な目にあって、自分の体で体験した恐怖心から学習します。小さい頃にそういったことを学ばす(教えられず)大人になれば、体は大きくても精神は子供のままです。子供のような大人が親になればその子供は・・・考えたくもありません。

歩行者の過失を問え!

何時だったかネット上で目にした記事か何かで、こんなものがありました。携帯電話を操作しながら、しかも音楽を聴いていた自転車の運転手が車に轢かれた事故で、車の運転手に過失無しの判断が出たとか。もし本当なら当然の判断かと思います。自動車の運転手ばかりが責任を問われていますが、何故歩行者の過失を問わないのか不思議でなりません。自動車は危険な乗り物なので、使用者の責任が重い事は理解出来ます。しかし、運転手がいくら法定速度を守り、注意義務を果たしている場合でも、事故を起こした時は罪に問われます。どれだけ安全に走行していても、回避不能の事故もあるでしょう。歩行者は車が止まってくれるだろうという思い込みから、道路を横断する時に後方を全く確認せずに路上に出るなど、死にたいとしか思えない光景をよく目にします。馬鹿を轢いたせいで人生を台無しにしたら、運転手が可哀そうです。

結局のところ、最終的に自分自身の身を守れるのは、自分にも責任があるからだと思います。歩行者の不注意で事故(本人を巻き込まない事故も含む)を誘発してしまった時は、ある程度歩行者も責任を折半するべきだと思います。実際に歩行者の不注意で関係ない人が事故に合い死んでしまった事例がありますから。無罪放免お咎めなしではなく、歩行者も事故状況をよく精査した上で、加害者として扱われるべきでしょう。自分が嫌な思いをしたくないなら必然的に自己防衛を考える筈ですから、結果として事故防止に繋がるかと思います。本当は公共の利益を考え、人を思いやる気持ちを育む事が大事ですが、先ずは自分を大事にしたいという気持ちから世の決まり事を守れば宜しいかと。後から思いやりが付いてくるのなら。それで分からなければ罰と躾が必要となります。

「スマートフォン」は「馬鹿の大量製造機」である

見出しにすると、これだけで完結します。毎日毎日、周囲を見ればよく解ります。

幼い子供の様子を窺うことなく、携帯電話の画面から目を離さない馬鹿親。

道路や横断歩道を渡る時に、周囲の確認もせず歩き始める馬鹿な歩行者。

運転中、信号待ちでもずっと携帯電話を使い続ける阿保ども。

歩きながらつい、という事は誰にでもあると思います。でも、歩きながら5秒画面を見るのと、歩いている間ずっと携帯電話を操作し続けるのでは全く意味が違います。前者は多少なら看過できるのに対して、後者は問題外です。最近の携帯電話は「スマートフォン」と呼ばれますが、それを使用している人間は馬鹿ばっかりと言う事です。馬鹿どもに言いたい。

「お前らが携帯電話を使っているのではなく、携帯電話がお前らを操作しているのだ」

一日中、自分という主体を他所に追いやり「携帯電話を中心とした生活」をして、自分達が機械と企業に利用されているのに気付かず、主従関係では上と思い込んでいるのだから救いようがない。

子供に携帯電話は必要無い

最近の親達は、子供達に携帯電話を買い与えるのが当たり前のようです。これには本当に首を傾げるばかりで、全く理解が出来ません。私なら義務教育を終えるまで子供には絶対携帯電話を持たせません。課金ゲームなんてもっての他です。この課金ゲームも規制をかけるべき(禁止で結構)と思います。私が携帯電話を持ったのはアルバイト生活を止めて、契約社員として働くようになった頃。確か25歳ぐらいだったと思います。それほど携帯電話は、生きて行く上で大した重要性がありません。また携帯電話は掛け捨てで、後には何も残りませんこの世で最も無駄な事の一つは掛け捨てです。携帯電話にかけるお金は極力切り詰めるべきです。ついでに言うと、家賃を払い続けることも愚の極みで、賃貸の家に住むのは若い内だけにして、早い段階で借金してでも持ち家を買いましょう。

携帯電話は本体価格・使用料ともに値上げが進み続けています。何のために電電公社がNTTとして民営化したのか。公共インフラを民営化すると禄でもない結果になる典型です。安く便利な携帯電話が普及されるならともかく、すぐに電池切れを起こす、べらぼうに高いパソコンのような電話、誰も望んでいません。ずっと使い続けていた折り畳み式の携帯電話は、仕事の都合などからスマートフォンに替えました。毎月の使用料は2,000円から3,000円に増えました。以前は1~2週間に一度行っていた充電は、毎日しなければなりません。災害などの緊急時に電池切れを起こしかねない現代の携帯電話は、もはや役立たず。ただの玩具です。

営利団体は金が欲しくて物を作るので、基本的に消費者の利便性や公共性、財政事情など考慮していません。携帯電話(携帯電話に限らずあらゆる商品が)は消費者が必要としたから生まれたのではなく、売られたから消費者が勝手に手を伸ばしただけです。需要があったわけではありません。売り出してからそれに消費者を依存させ、それ無しでは生活できないように仕向けているだけです。携帯電話の普及などにより情報化が進み、経済成長に繋がったとか言う人が出てきそうですが、携帯電話が普及する前の日本の経済の方が遥かに豊かであったからその理屈は通りません。むしろ、仕事では携帯電話で連絡を取り合う事がまるで義務となり、返事が無ければ(携帯電話なんぞ眺めている暇はない)がみがみと理不尽な事を言われ、同調圧力もあって甚だ迷惑しています。

閑話休題。私が子供の頃、友達と遊びの約束をする時は固定電話を使うか、直接家に足を運んでいました。当然ながら、その時に本人以外が電話に出ることはありますし(本人以外の方が多い)、「〇〇君遊ぼ」と呼び鈴を鳴らせば親が出てきて挨拶を交わす。そこで友達同士以外の交流も生まれるわけです。子供は約束の取り付け方や挨拶、礼儀などを人を直接介して学び、親達も子供の様子を窺えるので安心です。携帯電話のメールやラインなどで全て済ませてしまっては、後ろめたい隠し事や、問題事の種を見過ごすかもしれません。携帯電話への依存により同じ屋根の下の家族であっても、直接の会話が少なくなります。子供に過干渉すべきではないかもしれませんが、放任は親の義務と責任を果たしていません。経済と同じで監督者の放任主義は必ず悪い結果に帰結します。

私の甥っ子は食事時でも携帯電話を操作しながら箸を運び、ゲームに夢中で夜更かしし放題です。正に依存症・中毒の領域です。それを最初から諦めて注意しない親達にも問題があります。大人達に根気が無いから、その背中を見て成長している子供達もまた、根気や我慢強さが無くなります。課金ゲームに嵌まるあまり、親の現金やクレジットカードに手を出すと言った深刻な社会問題も起きています。出会い系サイトを利用することで事件に巻き込まれたり、学校では虐めの手段に使われることも。子供に携帯電話を与えることは、百害あって一利無しと断じます

最後に

万の言葉を重ねても、携帯電話に魂を吸い取られている人達には自分の言葉は決して届かないのだろうと、諦観は多少ありますが。ずっと溜め込んでいて世の中に主張したい事だったので、良い機会と思い吐き出しました。日頃、世の中の荒廃に嫌気がさしている、きっと少なくない人達が、私の意見に対して我が意を得たりと同意を示してくれるとは思っています。

本当に賢くなりたい人達は、まず携帯電話とテレビから離れることをお勧めします。人との生の繋がりを大事にし、只の物でしかない電話を相手にするだけの人生はやめましょう。

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!
>最強のWordPressテーマ「THE THOR」

最強のWordPressテーマ「THE THOR」

本当にブロガーさんやアフィリエイターさんのためになる日本一のテーマにしたいと思っていますので、些細なことでも気が付いたのであればご報告いただけると幸いです。ご要望も、バグ報告も喜んで承っております!

CTR IMG